同世代の作家、海猫沢めろん氏(通称:めろん先生)との対談。第1回目の「自由と不自由」、第2回目「自殺する自由」に続き、第3回目の今回は「平凡に生きる、普通に働く」だ。尾崎豊の話から、これからの生き方まで、話は広がったのだった。
1.バランスを失ったカリスマの自殺
海猫沢めろん(以下、海猫沢):自由を考えると必ず出てくるのは、尾崎豊の話ですね。今の時代は尾崎の話をする人ってあんまりいないんですけど、96年に出た森岡正博の『宗教なき時代を生きるために』の中で尾崎の話が出てくるんです。「尾崎豊はなぜ死んだか」っていう章があるんですよ(笑)。これ、どういうことを言っているかというと、苦しんでいることが芸の人は、それがアイデンティティなので、楽になれずにどんどん苦しみが深くなってくる。ファンもそれを求めているから、最終的に「彼はいつ死ぬんだ?」っていう無意識の期待をしはじめる。そうなるともう、本当に死ぬしかない。
常見陽平(以下、常見):確かになんとなく尾崎って死んでもおかしくないなって雰囲気ってあったね。
海猫沢:尾崎は明るくなって「俺は自由になったんだから歌わなくていいわ!」って言いだしたらバッシングをうけて、存在理由がなくなる人じゃないですか。
常見:演じている自分というやつだね。それで思い出したのが長渕剛の話で、「あんな暑苦しい歌ってるのに、家ではスーファミやっている」っていうゴシップが90年代前半に『宝島30』に載ったんですよ。別にどうでもいいんですけど、これは演じている自分とのギャップの話で。確かにもし尾崎もスーファミやっていたら、それはファンも残念だよね
海猫沢:やっぱり尾崎には、悩んでいてほしいですね。
常見:やっぱりよく分かんないカリスマ化ってすごい気持ち悪い。尾崎は現役時代だったら宗教のニュアンスが入っていますよ。「人は孤独かもしれない」って言ったらみんなが「わぁーー」って言って、それで「15の夜」が始まるみたいなのは異常ですよね。それは死ぬなって思いますね。
海猫沢:尾崎の盛り上がりには問題があって、「笑い」がなかったんですよね。可哀そうなことにね。
常見:筋肉少女帯のオーケンみたいにすべてさらけ出して、ラジオで「昨日も◯ナニーしちゃったみたいな」みたいなことを言っていたらまだ楽になれたと思います。
海猫沢:大槻ケンヂもそうですが、そこのバランスを取っている人は死なないけど、教祖にもなりにくい。ぼくは教祖にも信者にもなりたくないので、がんばってバランスとってます。
常見:めろん先生めちゃくちゃまともな人ですよ(笑)。まともだと思って接していましたけど、すごいバランスですよ。
海猫沢:そうなんです。でもどっかで「こんなマトモじゃだめだ!」とか思ってて、家で「ウアアア!」って叫んだり。極端なんですよ……。よく人に「いつも精神が安定してますよね」って言われるんですが超高速で躁鬱を繰り返してるから止まって見えてるだけ。あと、僕はすごく平凡コンプレックスがあります。
常見:僕もそうです!
2.「平凡」じゃ嫌だ!でもそもそも何が「普通」?
海猫沢:経歴を見たら平凡じゃないと思うかもしれないですが、これも元は平凡コンプレックスから来ています。中産階級の普通の家に生まれて、ロックと好きになるとコンプレックスになりますよね。おかしい家庭に生まれてないとロックじゃない!と思っていました。当時遊んでいた友達の一人で、家庭のことで悩んでいる子がいて、そこの家に行くといつも両親がけんかしてるんですよ。俺がそいつに満面の笑みで「おまえの家、超ロックだよ!いいよ、最高だよ!交換してくれ!」っていうと、そいつは「そういう見方があるのか・・・。俺ん家、確かにロックだわ……」って。彼はそれ以来、自分のことを「俺はロックだ!」っていうようになりましたからね。とにかく不幸な奴はみんなロックに生きるべき。
常見:平凡さへの悩みで言えば、高校のとき勉強できる人、才能がある人がいたし、社会人なってからも、物書き業界入ってからもそうです。周り見たら「俺普通じゃん!」と思って。いつもコンプレックス抱えて生きていますよ。
海猫沢:この歳になって分かるのは、みんな何かしら問題を抱えていきて生きていて、全然平凡じゃないってことですね。だから逆に「平凡になりたい」と思うこともあります。
でも結局、俺は平凡とか普通の人生というのは受け入れられないんです……どうしてもイライラしてしまう。そんな状態でもなんとか生きていける、ギリギリの状態が自分なりの「平凡」なんです。
常見さんの本にも『普通に働け』ってありますけど、その「普通」は他人には定義できないはずなんです。「平凡」とか「普通」とかはその人が思っているものの真ん中なんですよ。その人にとってのモノサシの真ん中だから「自分で考えろ!」っていう話です。
常見:その通り。「普通」は定義不可能です。あの本では逆に「何が異常か」を示しました。一部の企業では当たり前になってしまっている「ブラック企業的な働き方」や、「意識高い系」のことは「異常なこと」だと認識してもらうために書いたんですよ。
海猫沢:僕が言いたいのは「僕はあなたのモノサシは見えないからわからないですよ、でも自分で自分モノサシはわかるでしょ。あなた一番やばかった時と良かったときの真ん中があなたの普通ですよ」ってことです。そこが平凡で、多くの場合、人間はそのあたりで生きている。それを受け入れたほうが楽にはなれるよ、ということです。
常見:帯にも書いてある、「平凡な毎日を受け入れる。」というのはいい言葉ですね。母に「普通に生きるって大変なのよ」とぼそって言われた記憶があります。
海猫沢:そういうこと親って言いますね。半分ぐらいの人は親から普通の人生を進められていると思います。でも親はもっと説明した方がよくて、「普通」って人それぞれ違うから。俺の友達は変な人生送っている人が多いから、それから比べると俺は「平凡」だと思うんです。それと比べると平均がやばいので、それは「比べたらあかんのやで」って話ですよ。
常見:確かにそれは同じ平凡という言葉でも、異常社会の中での平凡ですね。
海猫沢:僕も丸の内や中小企業で働いているおっさんから比べると普通ではない生き方ですよね。でも人生は比べたらいけないんです。「比べる」ってことは「人の人生を生きたい」みたいな話ですよ。自分には自分の人生しかない。まず比較しないことですね。ネットってそういうのがあふれているじゃないですか。秒速で一億稼がなきゃみんな負け犬だと思うでしょ(笑)。それがメンタルヘルスにとって良くないですね。
常見:良くない、良くない。何かストリートファイター2でダルシムを楽しくイジメていたら、突然向かいの席に超絶強いやつが来てボコボコにされた感じですね(笑)。
海猫沢:梅原がやってきてね(笑)。
3.生きているだけで軸はブレてない
常見:本も出たところで、これからめろん先生はどうするんですか。
海猫沢:僕は小説書かねばならないんですよ(苦笑)。高校生のときに、これだけは一生続けると誓ったのが小説なので、最終的には小説です。
常見:今の語尾って重要だと思います。「書かねばならない」って。
海猫沢:この本は「~ねばならない」という思考から逃れるという話ですけど、人間にはどうしてもやらなければいきていけないということがあり、それはどうしてもやらなくてはいけない。人生そんな簡単ではないですからね。「そのままのあなたでいいんですよ」みたいな、ユルいメッセージだと思われがちだけれど、全然違う。
常見:意外にストイックなことも書いてあるし、勇気がいることも書いてありますよね。
海猫沢:この本は「すごいブレてる人間がかろうじてぶれていない時に頑張ろう」って話ですよ。
常見:そういえば、オーケンの本のタイトルで「人間として軸がぶれている」ってあったね
海猫沢:そうそう。あの曲好きです(笑)というか、俺、なにかにつけて「ぶれない心」とかいう奴が大嫌いなんですよ。そういう奴って軸のブレの取り方が狭いんですよね。俺からすると、生きている時点でみんな軸はブレてないんですよ。死んでないって時点で「死んでねーじゃんお前、すげぇブレてないよ!生きるって軸はブレてねーよ」って。
常見:今、自己啓発的名言出ましたね(笑)。生きているだけで軸はブレてないんだ。
海猫沢:そうなんですよ。みんな、生きていれば軸はブレてない!!
常見:みんな、生きろ!生きろ!
2014年3月3日 岩本町 OnEdrop cafeにて収録
なお、この対談は「陽平天国の乱」の第32回~第35回でも聴くことができる。こちらで該当する回をチェックしてほしい。