連載 GPIF改革の論点 (10) どのような資産に投資すべきか

小幡 績

GPIFの現在のアセットアロケーションは、国内債券60%、国内株式12%、外国債券11%、外国株式12%、短期資産5%であり、このポートフォリオを変える、というのが今回の改革の政治的な目玉となっている。政治を離れて、純粋な運用として考えた場合、ポートフォリオを変更する必要がある理由としては、①国民のリスク許容度が変わった、あるいはそれに対する考え方が変わった、②資産市場の側が変化し、新たな資産に投資が可能になったり、既存の資産でも資産のリスクリターン特性が変化したりした、という二つの側面があり、前者はディマンドサイド、後者はサプライサイドの話だ。


もちろん重要なのは、リスク許容度で、おそらく、現在の議論は、日本国民がこれまでリスク恐怖症で、それがアベノミクスで目覚め、デフレマインド脱却の中で、リスクテイクをしよう、株を買おうという流れになり、従来、年金で株式運用ということにアレルギーのあった国民の一部(あるいは半数程度?)も、抵抗感がなくなっているという感覚で進められているのではないか。感覚で進めるのも問題だが、出資者である国民がじっくり考え直すこと、議論を一通り尽くすこと、その機会を与えずに、海外の投資家にGPIFは変わります、と宣伝するのは狂気の沙汰ともいえるが、要は、国民はあまり分かっていないし、単なるアレルギーであって、それも昨年株があがって喜んでいる人が多いから、今ならそのアレルギーも緩和して、あるいはそれどころか、株でどんどん運用しろという一部の声もあり、理論的にも、投資業界の常識としても、もう少しリスクテイクしてもいいだろうというのが多数派の評価であり、いずれにせよ正しいことなのだから、成長戦略、改革のタマとしてプレイアップしてしまえ。そういったところだろう。

こういった考え方を批判するとキリがないが、しかし、やはり、これが一番の問題で、国民が、実際に運用で損が出たときに、我々は認めていない、そんなつもりはない、勝手に政府が我々の年金をギャンブルに使った、という反応が出たときに、いや、今こそチャンスです、冷静に投資を続けましょう、という本当は正しい論理的な議論が説得力を持たなくなってしまい、リスク資産を買ったり売ったり、という長期運用に置いてはもっともしてはいけない(運用利回りを下げることになる)失敗を犯す可能性が高くなる。

そこで、ここでは、私個人としてもリスク資産(日本国債以外、ただし、もちろんすべての資産にはリスクがあり、現金ですらインフレリスク、機会損失リスクがあり、日本国債はこれまでに議論したようにさまざまなリスクがある)への配分は高めるべきであり、リスク許容度ももっと上げてもいいと思ってはいるのだが、そこは議論せず、現状のリスク許容度のまま、どのような資産構成にするべきか、という話をしよう。

まず、国債並みのリスク、あるいは国内債券並みのリスクというが、国債自体にももちろんリスクがある。すべてのリスク資産、そして現金にもリスクがあるのだから、国内債券60%というのは割合として高すぎる。対象資産を分散させることによって、ポートフォリオ全体でのリスクを下げるという分散投資の基本原則に忠実に、日本国債への配分割合は減らすべきだ。

ただ、ここで注意しなければいけないのは、国債のリスクとは何で、何を分散させなければいけないか、ということだ。

国債については、これまでの数回で議論をしてきたが、まず、政府の信用リスクがある。したがって、GPIFが保有する国債の満期の残存期間を変化させてもリスクに変化はない。厳密に言えば、来年デフォルトするリスクと10年後にデフォルトするリスクは異なるが、デフォルトリスクに対して国債価格が反応するような事態となれば、そのような理屈を超えて大きく連動すると思われるので意味がない。期間によるリスクの違いが大きいのはインフレリスクであり、今年や来年はインフレがまだ抑えられるが、3年後当たりからインフレが加速すると思われれば、残存満期が4年のものから値下がりしていき、5年を超すと一気に値下がり幅が大きくなり、10年物へ向かって急激に値下がり幅は大きくなっていくだろう。

しかし、10年物の新規発行の利率が、これにより大きく変化するから、10年物自体はむしろ値下がり幅の拡大はそれほどでもなくなってくる。いわゆるイールドカーブ(残存満期ごとに国債を並べたときの縦軸に利回りをとったときのカーブ、普通は右上がり)の傾きが急になっていくのが止まる可能性がある。また、20年、30年といったところになると、別の動きとなる可能性がある。

これが第三のリスクで、投資家リスクだ。5年物の国債への投資家と10年物の国債への投資家とは別人である。投資対象カテゴリーが違うのだ。もちろん、すべての投資家はすべて異なるが、その属性によりある程度は似た行動をとる。例えば、地方銀行とメガバンクでは異なるし、生保は全く異なる。いわゆる短期売買のトレーダーはくまなくチャンスを狙うとしても、得手不得手があるし、相手とする投資家が異なるから、やはり投資対象はある程度カテゴライズされる。一番大きな影響があるのは生保の独壇場となっている超長期債、10年を超える満期の国債マーケットで、政府も20年債、30年債の発行は、ほとんど生保の意向のまま発行することとなる。

したがって、残存期間5年の国債と10年物の国債、それ以上のもので、インフレリスクに対する反応が違うのは、それぞれのカテゴリーの異なった投資家たちが、インフレリスクに違った反応を示すからで、生保Aと生保Bでも反応は違うが、それは生保と地方銀行との反応に違いとは、まさに異次元の違いがある。

そして、投資家リスクとは、それがインフレによるものでも、日銀の政策変更に対する予想によるものでも、理由は何でも良く、何にせよそれぞれの投資家がそれにより行動を変え、それが債券の市場価格の変化となる。リスクとは価格変化のことであるから、これこそがリスクだ(本来は不確実性と言ったほうが良い。投資家行動の変化は内生的であり、群集心理的にも市場で増幅され、自己実現の要素が強いので、予測不可能。これこそが、ナイトがいう不確実性だというのが、私の理論。しかし、ここでは、これ以上議論しない)。

この点は、一般のファイナンス理論では見落とされている点であり、単に、資産間のリターンの相関性として捉えられている。すなわち、分散投資によりリスクを減らすのであるから、それぞれの資産のリターンがどれだけ相関するか、これを考慮に入れて、相関する資産間では分散投資の効果が小さいから、できるだけ相関しない資産間で分散を行なうのがセオリーである。例えば、ハイテク株と製薬株の分散投資は、事業構造が異なる産業なので、景気に対して安定的な製薬株は分散投資手段として重宝される。

しかし、問題は、この相関が低いという過去のデータ(普通相関は過去の5年などをとってみる)が何を現しているか、ということだ。まさに「表して」ではなく、「現して」いるか、なのだ。

つづく