「カナダ化」する日本 --- 岡本 裕明

アゴラ

「日本の人口が減ると、全国の地方自治体の維持が難しくなるとの長期推計が相次いでいる。元総務相で東大の増田寛也客員教授らは8日、2040年には全国1800市区町村の半分の存続が難しくなるとの予測をまとめた」という日経の記事は衝撃的という表現がもっともふさわしい気がします。ただ、調査方法とその信憑性および、個別市町村のリストについては相当疑義が出てきそうですが、あくまでも大勢をとらえるなら妥当かも知れません。


ざっくり言えば皆さんの出身地の村や町の運営が滞り、独立した自治体として維持できなくなるということです。当然ながら地方の財政は苦しくなり、一部の県では社会サービスからインフラの補修などを含めた対応に大きな壁ができるということでしょうか?

台風や大雨で土砂崩れがあってもそれを迅速に直し、災害復旧する能力すらなくなるかもしれません。村へ通じる一本の道路が守られなくなるかもしれません。ローカル電車の赤字は第三セクターの運営許容範囲を超え、廃止路線が続出するかもしれません。

日本は狭い国土ながら隅々まで整備され、こんな山奥でも生活していたのか、というところもずいぶんあります。しかし、人口の減少が続く将来の絵面が今のカナダに重なって見えるのです。

カナダは世界第二の国土を持ちながらも人口はわずか3300万人。つまり、関東の人口4200万人にも満たない程度です。しかも気候は厳しい上に基本的に山がちな地形であるため、カナダの主要都市の多くはアメリカ国境に近いカナダの南の方に位置し、都市間の動きは国の南部を横に移動する鉄道と道路網が主軸になっています。山岳である北部にも資源関係で発展した街もあるし、比較的平地が多いエドモントンやオタワのような都市もあります。

しかし、それは数少ない例外。バンクーバーから北に向かえばたった一本の道路がウィスラーというリゾート地に繋がっていてその先には小さな町が一つありますが、更にその先は道路が東に折れ、結局周回路のようになっています。つまり、山に入る道はほとんどなく、当然ながらそこで生活する人も極めて限られるということになります。

2040年の日本はまさにカナダ化する可能性を秘めているということでしょうか? それは小さな村落は廃村になり近くの小都市に人口を集中させ、一定規模の経済基盤を作るということでしょうか? もちろん、自分の生まれ育った村がなくなることは悲しいことではありますが、25年後にそれを復する力量が日本にはない、ということです。但し、これは地方自治体にとってはプラスの部分もあるでしょう。なぜなら人口密度が低い山奥へのインフラや社会基盤整備を放棄し、一定の場所に人口を集中させることで税金の効率的使用を促すことができるのです。

逆説的に言えば批判はあるでしょうが、今から廃村の準備をしておく発想もありかと思います。それは地方自治体が30年後の人口動態を客観的に判断し、人口集積地域に住民を誘導する施策を取るということです。それは新築の住宅許可を一定のエリアに限定するという方法もあるでしょう。あるいは人口過密度が低いエリアのインフラ整備は一定の期間後に廃止することも考えられます。

これは日本全体を再整備するということであります。

政府は一方で2060年時点で8600万人まで減るとされる人口予想を人口1億人を維持するための目標を設定したと発表しています。しかし、この発表の内容はあまりにも現実離れしたほとんど無意味な提言です。それは役人が大好きな数字のゲームであり、出生率を今の1.41から2.07に引き上げるというのです。私は1億人が先にありきでそれに追いつくための数字が2.07だったということかと思います。そして2.07の持つ意味の重さはこれを発表した役人の無責任さを物語っています。

通常、人口は病気の蔓延や戦争が起きると出生率が上がりますが、平和で医学が発展し、余命が伸びれば人口が減るのが自然の摂理です。つまり、平和国家である限り、あり得ない人口増を考えるより、減り続ける人口に対してどう対処するのか、そちらの方が正しい施策ではないでしょうか?

25年後の日本地図は今まであった道路がもうなくなっているということになるのでしょうか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年5月9日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。