5月4日のワイドナショーでも取り上げられるほど、多所で散々議論されているのだが、JTB中部社員がミス発覚を恐れて虚偽の自殺事件にすり替えようとした問題、何故、誰にも相談しなかったのかを、ひとつ考えてみた。
まず真っ先に思ったのは、リアルで誰かに相談するという経験、体験が極めて乏しいのではないか、ということだ。これはこの社員に関わらず、この世代の比較的多くが該当するのではないかと思った。この社員は30歳で、ゆとり世代ではなく、その前のプレッシャー世代(1982年~1986年に生まれた28歳~32歳の人たち)に位置する。高校生くらいからWEBが普及し始め、WEB社会を自在に謳歌してきた世代だ。
WEBで調べれば多くのことを得ることができ、リアルの狭い社会で誰かに口頭で尋ねるよりも、ずっと信憑性の高い良質な情報がWEBなら得られることを十分に体験して知ってしまっている。親に尋ねてもその情報の確実性が不明で、WEBで裏を取ってしまう。父親を信じて立てるようなことはなくなっている。先輩、教師に尋ねてもそれは同じことで、情報の信頼性を確かめるにはWEBに頼ることが当たり前になっているのだ。
「生き字引」なんて言葉を最近はすっかり聞かなくなったが、まさにWEBの普及が起因しているだろう。頼りになる先輩や親戚というものはいなくなっていて、唯一の良いことといえば、一族全員みんなバカという負のスパイラルから抜け出せたということだけだ。
そうして、いつしか、誰かを頼らなくなって、WEBさえあればある程度のことは一人で何でも解決できるようになってしまった。困り事があればWEBで相談すればよいし、その回答の中からもまた自分が納得できるものを選べば良い。有りもしない「万能感」を得てしまったのだ。
自分で解決してしまう、問題解決に際して誰かに頼ることを覚えてこなかった為、今回のような問題が発生したときに、先輩や上司、同僚に相談するということを選択肢から除外してしまっている。そもそも頼らない為、これまでに会話も少なく、同僚や上司、先輩との仲もさほど良くもないだろうから、より相談するという選択肢は無くなってくる。
ではどうするかといえば、必ず解決に導いてくれるWEBを頼りにするわけだが、WEBでの解決には時間が掛かり過ぎる為、別の問題にすり替えて時間を稼ぐ、あるいは完全に別の問題にしてしまう必要がある。生徒が自殺を仄めかせているとなれば、そもそも遠足は中止になってくれるかもしれない。そうすれば、再度、バスを手配することができる。この社員は苦肉の策だったというより、これでうまくいくと思ったんじゃないだろうか。
リアルな人間の繋がりが希薄になったことで、この問題でどれだけの人間に迷惑が掛かるかなど、想像が出来なかったのかもしれない。少なくとも、自分にとっての味方は存在しないと思っているから、自分だけが悪者になれば済むと思っていたかもしれない。会社が会見するほどの問題になるとは想像もできなかったのだろう。
ワイドナショーでは作家の山口恵以子が「恥をかく勇気がない」と言っているが、恥をかきたくないから相談しなかったというよりは、やはり誰かに頼って解決したという体験が乏しかった為に、こうして一人でおかしな方法でもなんとかしようとしてしまったんじゃないかと思う。「どうせ助けてくれない、助けにならない」という思いが全てに勝っているのだ。
助けてもらって解決するという想像ができないから、東野幸治が言っているような「この失敗談を後輩に笑い話として伝えていってほしい」ということも、同じように想像が出来ない為に、残念ながら実現されないように思う。
結局、じゃあこの件は何が悪いのかという話だが、急速にIT化が進行して法整備も教育整備も間に合っていない揺蕩(たゆと)おった世の中で多くを考えていない本人も周囲も悪い。せめて改善を願うなら、WEBで調べたら簡単に分かるような課題ではなく、人間と接しなければ解決できないような課題を教育現場では心掛けて欲しい。人と接しなければ解決できない問題があるということを学ぶ機会を多く与えてほしい。これは学校だけではなく、今小さなお子さんがいるご家庭でもです。
もう今の世の中は、人為的に用意しなければ、大概のことがWEBで解決できてしまうようになってきてしまっている。
土屋 義規
合同会社materialize
代表社員