ポーランド、ヤルゼルスキ氏の「敗北宣言」 --- 長谷川 良

アゴラ

ポーランドのウォイチェフ・ヤルゼルスキ元大統領が5月26日、ワルシャワの病院で死去した。90歳だった。軍人あがりの政治家で1989年から1990年の間、大統領を務めた。首相時代の1981年12月、レフ・ワレサ氏を中心とした自主管理労組「連帯」の民主化運動を制圧するために戒厳令を発したが、それが契機となり、同国の民主化運動は加速され、旧東欧諸国共産政権の崩壊の道を開いていった。

冷戦時代、旧東欧共産政権を担当してきた当方はヤルゼルスキ氏という名を聞けば、2つの発言を想起する。一つは戒厳令発令に対する国民からの批判に対してだ。


同氏は民主化後、「自分が戒厳令を発せなかったら、旧ソ連軍が侵攻することを知っていた。だから、祖国を他国の支配下に置かないために、わが国は戒厳令を敷き、主権国家を守ってきたのだ」と弁明していた。

当方はこの発言内容は事実ではないかと考える。ポーランドは過去、3国(プロイセン、ロシア、オーストリア)に分断されるなど、民族の悲劇を体験してきた国民だけに、主権を保持することの重要性をどの国よりも理解していたからだ。ヤルゼルスキ氏は母国を共産政権の盟主・ソ連の占領下に置かないために腐心したのだろう。

もう一つは、「わが国は共産国(ポーランド統一労働者党)だが、その精神はカトリック教国に入る」と述べた発言だ。ポーランドは共産政権下でもローマ・カトリック教の信仰は国民の間で燃え続けてきた。ローマ法王にポーランドのクラクフ出身のカロル・ボイチワ大司教(故ヨハネ・パウロ2世)が選出されたのも偶然のことではなかった。ヤルゼルスキ氏の「わが国はカトリック教国だ」は共産国指導者としては一種の敗北宣言といえる発言だ(同氏自身、カトリック信者だったともいわれる)。

しかし、旧ソ連・東欧諸国の民主化後、ポーランドでも無神論、ニヒリズム、不可知論が広がり、国民の神への信仰は揺れだしてきた。英国で始まった「神はいない運動」は同国にも進出し、ゲイ・パレードが開催されるなど、同国の世俗化テンポは想像以上に早い。

例えば、2011年10月9日実施されたポーランド総選挙(下院選挙)では、新党「パリコト運動」が第3党に躍進した。同党は、ローマ・カトリック教会の影響が強いポーランドで反教会主義を掲げ、「国民は教会に支配されてきた祖国を奪い返すべきだ」と主張し、「教会と国家」の分離を強く要求している。(同党は昨年10月、「みんなの運動」に改名)。

ヤルゼルスキ氏は共産政権下の独裁者というイメージがあるが、当時の東欧共産党政権下では珍しい人間的な側面を持った指導者だった。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年5月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。