ブログにも書いたように、天皇は1000年以上前から名目的な君主であり、そうであるがゆえに実権が代わっても天皇家の地位は続いてきた。この意味では、天皇制は世界最古の完成された立憲君主制である。
しかし「尊王攘夷」の儒教的イデオロギーに引っ張られた明治政府は、天皇に軍を統帥する実権を与えてしまった。昭和天皇はこの矛盾に悩み、形式的には統帥できる軍が戦争に傾斜するのを防ごうとした。その平和主義のぎりぎりの表明として知られるのが、開戦を決定した1941年9月6日の御前会議で詠まれた明治天皇の御製である。
よもの海みなはらからと思ふ世に
など波風のたちさわぐらむ
これは今まで昭和天皇が「世界は同胞なのだから戦争はするな」という意思を間接的に表明したものと解釈されてきたが、この御製は1904年にロシアと国交断絶した御前会議のあと詠まれたものだ。それは明治天皇が「これは朕の志でないがやむをえない」ともらして詠んだ歌だ、と側近が書いている。
つまり昭和天皇も「開戦やむなし」という意思を表明したのだが、この御製だけでは真意はわからない。当時の御前会議のメンバーも仰天し、軍部は天皇を「啓蒙」するために上奏し、天皇も抵抗を弱めて開戦を許可した。
話はこれだけである。本書の大部分はこの御製をめぐる雑談で、特に戦後篇はまったく必要ない。天皇の戦争責任を軽減するためにこの御製が利用されたことは事実だろうが、そんなことはどうでもいい。おもしろいのは国家の運命を決める最終決定が和歌によって行なわれ、しかもその真意が会議の出席者にも理解できなかったことだ。
昭和天皇は、当時最高の知識人だった。彼は日本が戦争に勝てないことを知っていたが、明治憲法で認められている拒否権を発動すると、軍部がクーデタを起こすことを危惧していた。この御製は、彼の最大限の皮肉だったのだろう。その皮肉はあまりにも高度で、戦後70年たつまで理解されなかったのだ。