ヤンキースの大魔神「神様、仏様、田中様」

北村 隆司

どうやら田中投手の実力は本物らしい。

大金を使って実績のある選手を集める癖のあるヤンキースは、選手の年齢が高い事もあり今年も故障者続出で、田中選手にヤンキースの大魔神「神様、仏様、田中様」になって貰う他に妙手が見つからないのが現状だ。


大魔神の佐々木投手は知っていても、三原脩監督率いる西鉄と水原茂監督率いる巨人が対決して「巌流島の決戦」と言われた1958年の日本シリーズで、7試合中6試合に登板し、うち4試合で完投勝利して西鉄を優勝に導き、地元新聞が「神様、仏様、稲尾様」と言う見出しで崇めた稲尾和久投手を知る人は少ないかも知れない。

日本シリーズで三連敗した当時の西鉄よりは余裕があっても、年間総額204億円($203,812,506)の選手報酬を支払いながら、アメリカンリーグ・東地区で選手報酬総額が133億円( $132,628,700)に過ぎないトロント・ブルージェイズに6ゲームも離されているヤンキースのあせりは大きい。

その救世主「大魔神として登場したのが田中投手で、米国メディアの報道もかなり過熱し、ニューヨーク・タイムスまでもが

田中投手はアメリカン・リーグ初登場以来、12試合連続の『quality starts(相手チームを少なくとも6イニング3点以下に抑える好投)』を続けているが、これは新人投手として100年以上も達成された事がない大記録だ

と大賛辞を寄せ、更に

他の投手が先発する試合の結果は予測出来ないが、田中投手が先発する時だけは安心出来るスーパー・スターとなった。今のヤンキースでスーパー・スターの名前に価する選手と言えば、大金を払ってレッド・ソックスから獲得したジャコビー・エルズベリー外野手くらいなもので、他の選手は名前と給料ばかりがスーパースターで、実績は惨めとしか言いようがない。
スター選手はファンが切符を買うだけの魅力は持っていても、実績を挙げなければスター性は消えて行くばかりである。年齢も25歳と若い田中投手は、不振の続くヤンキース打撃陣にお構いなく勝ち続け、ヤンキースファンは彼の登板日だけが安心して試合を見れる安息日になっている

とヤンキースの運命は田中投手の双肩にかかっていると言わんばかりの書きぶりである。

田中投手の年俸は日本では想像を超える22億円超だが、それでも米国大リーグ選手の報酬額としては全体では12番目、投手としても6番目に過ぎない。

188センチと言う身長も日本では長身選手に入るが、2メートル超の投手が多いメジャーリーグでは、投手としては平均的で、ダルビッシュのように長身投手の部類には入らない。

大リーグ選手には珍しいアイビーリーグの名門エール大学出身のメッツの元名投手で、現在はESPNなどで野球解説をしているロン・ダーリング氏は

田中投手の投球フォームを見ると惚れ惚れするが、ESPN のスポーツ科学部門の分析で身長188センチの田中投手の投球歩幅が、メジャーリーグ投手の平均である身長の85%を遙かに上回る110%も有る事を知り、人間の最強筋肉である臀部と太腿をフルに活かして腕の筋肉への負担を減らす一方、ホームプレート近くで球速を上げ、胸元で球が変化する投球フォームを既に身につけている事に感心した。この美しいフォームは、身長185センチの不世出の名投手トム・シーバーと瓜二つで、シーバーを慕う自分は、田中の投球を見るだけでも楽しい

と放送していた。

こうして、早くもメジャーで一目置かれるようになった田中投手だが、日本選手のメジャーリーグ進出のパイオニアーの野茂投手のメジャーでの活躍が、日本野球への信用を高め、その後の日本選手の進出に道を開いた事は忘れないで欲しい。

パイオニアーの苦しみとは言え、その移籍の陰には、多くの嫌がらせを繰り返した球団首脳や、その手先になったマスコミのイジメを乗り越えた野茂投手の苦労があった(詳細はウイキぺデイアの野茂英雄欄を参照)。

メジャー進出を果たした日本選手の全てが、野茂やイチローのように真面目で従順な日本選手と言う評判を築いた模範生であった訳ではない。

江川卓投手の巨人入団大騒動の国際版のような騒ぎの末に、ヤンキースに入団した伊良部投手の例が、その典型であった。

彼がメジャー初先発した試合には、通常の2倍の観客が詰めかけ、ハーレム川の対岸にあるブロンクスのヤンキースタジアムの歓声が、マンハッタンにまで聞こえるのではないかと思う程の熱狂振りは、優勝パレードで英雄となった松井選手でも及ばない程で、その日にメジャー初登板、初勝利を飾るとオーナーの故ジョージ・スタインブレナー氏迄が「伊良部は和製ノーラン・ライアンだ」と興奮した事は有名なエピソードである。

しかし、その後の試合では大量失点が続き、ブーイングの中で降板させられた伊良部投手がファンにツバを吐きかけ、従来の日本人のイメージを吹っ飛ばしたのも彼であった。

160キロの速球を持つ日本球界最速の投手と言われ、メジャーリーグでも月間MVPを受賞するなど、実力に恵まれた伊良部選手だったが、その成績と態度の悪さに怒り心頭に達した故スタインブレナー・オーナーから「太ったヒキガエル」とまで罵られた事もある。

素行ではなく成績の悪さで、日本選手の質はバラツキが多く、キューバと並んで「リスクの大きい国」と警戒される原因を作ったのは元阪神のエース井川慶投手であった。

2006年にニューヨーク・ヤンキースが約30億円を払って独占交渉権を得て落札し、5年合計で20億円+出来高で契約した井川慶投手は、キャッシュマンGMが「井川の獲得は失敗だった」と明言したり、地元紙の「ニューヨーク・ポスト」に「過去10年のニューヨークのプロスポーツ選手ワースト10の中で最悪1位に選ばれるなどすこぶる評判が悪かった。

この日本リスクの悪評を救ったのが、レッドソックスのクローザーとして2013年のリーグチャンピオンシップシリーズのMVPに輝いた上原浩二投手とテキサス・レンジャーズがポスティングで松坂大輔を上回る史上最高額の約52億円を払って契約したダルビッシュ・有投手の活躍である。

リーグチャンピオンシリーズのMVPに輝いた上原浩二投手のボストンでの熱狂的な人気とヤンキース時代に同じ賞を得た松井秀喜選手のニューヨークでの人気は爆発的であったが、夜空を焦がす花火のように一過性の嫌いが強い。

それに比べ人気は爆発的とは言えないが、40歳になっても皆が感心する職人芸を披露するイチローや、田中、ダルビッシュ両投手に与えられる賛辞は、殿堂入りを予測させる重さを感じさせるものがある。

特に、田中、ダルビッシュ両投手の数多い球種の配合と抜群のコントロールへの高い評価は、大投手に必要な条件の全てを網羅しているらしい。

現在の処、アメリカンリーグの自責点で田中投手は一位、ダルビッシュ投手は四位と言う好成績だが、昔と違い両投手とも若い時代からメジャーで活躍できる幸運を活かして、野球殿堂入りを果たし、改革の進まない日本プロ野球機構の「大魔神-ダルビッシュ」「神様、仏様、田中様」になって欲しいものである。

2014年6月11日
北村 隆司