建設会社勤務時代に国内建設現場や現地法人、海外支店に配属されていた際、本社がやけに遠くバリアがある存在でありました。いわゆる管理側の支店や本社は現場に様々な要求を押し付けてくるものであり、現場や現地法人は防戦一方であった気がします。事業部からは日々の業務管理、建築本部からは技術や工事の進捗の管理、経理、主計、財務からは月々の勘定帳、試算簿から資金繰り、人事からは出張者を含む人の出入り、人事管理など枚挙にいとまがありません。
決算が近づけば普段は連絡をよこさない部長クラスが、「今期の利益だが…」と相談をしてくるのは毎度の行事でありました。一方、モノを買ったり、非定常的支出には稟議、稟議、また稟議で各部門から嫌味の一つ、二つ言われながらようやく了解を貰うというのは今でも当たり前だと思います。
そこに存在するのは距離感と上下関係、そして管理側の論理と現場の論理。平たく言えば頭脳と汗の戦い。
北米に来て強く感じたのは北米マネージメントスタイルは更にその距離感を引き延ばした状態と言えましょうか? 現場に出ないマネージメントと現場しか知らないオンサイトスタッフはお互いに「わかってもらえない」と嘆き、夏になればストライキが始まります。今年もバンクーバー夏の恒例ストライキは学校の先生の全面ストからスタートするようですが、この労使の戦いも距離感の具体的事例であります。
業務を大車輪で片付けるには現場と管理は一体化しなければ本当の改善ポイントは見えてきません。管理側は何を望み、現場は何に苦しんでいるのか、お互い、腹を割って対話しない限り本音はわかりません。北米の企業でなぜ、マネージメントが待遇面で優遇されるかといえば少数精鋭と圧倒的な経営効率を目標数字で設定され、飴と鞭をはっきりさせるからでしょう。そのマネージメントのポジションを目指し、多くのホワイトカラー志願者たちがチャレンジしているというのがピクチャーライクな表現です。
現場と管理が大車輪で回るには管理が決定事項を押し付けるのではなく、現場にその改善案をださせ、やる気を引き出すことではないでしょうか? つまり、双方の強みを生かしながらすべての頭脳と汗をそこに結集し、問題解決に向かって走るということだと思います。それは逆に現場は現場のプロ、マネージメントは経営のプロという自覚を持つことが最前提になります。どちらが偉いとか、できる、できないの議論はあるかと思いますが、知恵を絞れば今まで壁となっていたものが案外取れたりするものです。
私の経営するカフェも最近従業員の半分を入れ替え、マネージメントサイドから現場とのコミュニケーションに携わる担当をより明白にしたことで現場が生き生きとして、今までできなかったことが少しづつ達成できるようになっています。最後は私も皆さんと現場で酒を酌み交わしながら知恵を出すことで一体感をより強めるようにしています。
私の顧客でもある経営者が「あなたは本当にユニークだよね、現場の細部にわたるところまで十分把握しながら全体もうまくコントロールしている」と。多分、私は寿司屋のオヤジのように自分で見える範囲の仕事が好きなのだろうと思います。そして最近は信頼できる右腕、左腕が育ってきているため、日本の事業にも力を配分できます。
私は規模の拡大よりも経営の質の向上を通じて業務改善を図っています。キャッシュフローベースでは直近2期だけで50%以上伸びています。しかし、この改善は決して管理側の工夫だけで成り立ったのではなく、現場と日々向かい合ったことで成し得た技であります。そうみれば日本企業も乾いたぞうきんを絞るばかりではなく、経営と現場の一体感でウィンウィンの成果が上がるようにしたいものです。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年6月14日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。