韓国への修学旅行を「対馬」に振り替えよう --- 長岡 享

アゴラ

セウォル号事件をきっかけにして、韓国の国家的危機対応のずさんさがあきらかとなり、韓国への修学旅行をとりやめる学校が出て話題になった。遅きに失したともいえるが、教育正常化の観点からみてものぞましい対応といえる。ただし、今回の措置はあくまでも「事故」を契機としており、ほとぼりが冷めればふたたび韓国への修学旅行を再開させることも考えられる。ここでは、いったん原点にかえり、海外修学旅行の得失について考えてみたい。海外修学旅行は教育上、賢明な選択といえるのだろうか。


1、日本経済の状況と足並みをそろえてはじまった海外修学旅行

修学旅行先が、おおむね日本経済の好景気に左右されるかたちで選ばれてきたであろうことは、特段の予備知識がなくても容易に想定される。特に公立高校の場合、その傾向が顕著となることは想像にかたくない。実際、戦後初の海外修学旅行とされているのは1972(昭和47)年の5月および10月、宮崎県/滋賀県の私立高校における修学旅行であり、行先はともに韓国であった。この年は、『日本列島改造論』で知られる田中角栄政権が誕生した年である。が、この流れは微々たるものとなったのは、海外旅行自体が珍しかったことによるだろう。国内インフラもまだ十分とはいえなかった(なお、この時点で、日本は中華人民共和国とは国交していない)。

一方、公立高校で修学旅行先に海外が選択されるようになったのは、1984(昭和59)年度の福岡県立小倉商業高校における修学旅行、1987(昭和62)年度の埼玉県浦和市立高校における修学旅行が最初といわれている。行先はそれぞれ韓国/中国であった。

これらの時期は高度成長期やいわゆる「バブル経済」期と前後していることからもわかるように、経済発展の動向と歩調をあわせるようにして旅行先や移動手段の幅が広がり、海外修学旅行が実現可能な選択肢とされるようになっていったことがわかる。大学生が卒業および就職前のまとまった期間を利用しての「卒業旅行」でも、海外に行くことは当たり前となった。

2、修学旅行を海外にする意味は薄い

だが、修学旅行先をあえて海外にするメリットは何であろうか。言葉の問題や安全管理上により、海外での行動は、クラスや学年単位といった団体行動が主体となる。また使用言語の関係から、自由行動は国内以上に制約され、国内旅行の延長線上の教育効果すら期待できない。さらに、国内への修学旅行が海外に振り替えられれば、当然そのしわ寄せは国内に及ぶ。毎年百万人もの学生の移動によって見込まれていた経済効果が、国外へ流出することで少なからず損なわれていく。実際、修学旅行が国内であった時期には当たり前だった輸送インフラの充実や修学旅行専用車、船舶の就航が縮小していった。ブランド力のある代表的な京都・奈良への修学旅行すら漸減しており、修学旅行先の多様化という要素を加味しても、競争力の少ない地域にとっては、苦しい立場に立たされてきたのではないだろうか。

さらに問題となるのは、海外修学旅行といっても、特に公立高校での渡航先が実質的に韓国・中国を中心に選択されてきた事実である(注1)。公然と「反日教育」をする国を渡航先としてきた理由は、その反日教育が目的だったと考えられるのではないか(注2)。そういった国への修学旅行がもたらす反・教育効果について、政府や心ある教育関係者、送り出す保護者はもう少し慎重に考えるべきだった。

たしかに、日本から海外へ行ったときの解放感は格別である。しかし、その解放感は、自主的に渡航先を決め、目的を設定して海外をめざした人のものが主として味わうものであって、修学旅行というイベントで味わうことができるのか。修学旅行で海外に行っても、海外で味わう空気は日本の延長線にあるだろう。「修学」の観点、渡航先・行動範囲が限定されることの得失、安全上の問題、国内経済の状況、ライフスタイルの変化、海外旅行の位置づけの変化、さらに事実上の選択肢として選ばれる国への訪問に付随する教育的意義などを考えれば、修学旅行を海外にする教育的意味はかぎりなく希薄になったといえよう。

3、国内に修学旅行先を振り替えよ

訪日外国人の増加によって、訪日外国人の目から見た日本という、これまで当たり前だと思ってきた日本の別の姿があるということが浮かび上がってきた。これからは日本を再発見するという新しい視点を、国内修学旅行の価値に加えることができるかもしれない。

今日において、訪日外国人旅行者数はおよそ800万人、対する日本人海外旅行者数はその倍のおよそ1600万人となっている(注3)。もはや、海外渡航は当たり前となり、学校が教育効果を求めて修学旅行先に海外を選択する必然性はなくなった。むしろ、自主的に訪問することの少ない国内の地に修学旅行先を振り返ることのメリットが増したといえよう。特に、社会人となってしまうと訪問しづらい離島や、観光資源が認知されていない地域を、重点的に修学旅行先に選定することは考えられてよい。

そこで、たとえば韓国への修学旅行を「対馬」に振り替えてはどうだろう。領土教育が喫緊の課題となっている今、近代から現代にいたる諸問題が凝縮している歴史教育的観点(「タテ」軸)からいっても、大陸・半島勢力と角逐する地政学的観点(「ヨコ」軸)からいっても、また「グローバル」(世界史上における日本の位置づけ、注4)と「ローカル」(日本独自の文化)とを同時に学べる観点からも、壱岐・対馬を旅行先とするメリットは計り知れない。しかも、観光資源を韓国からの渡航者で賄わなければならないことで、韓国寄りに振れやすい対馬の政治的立場(「沖縄化」)を正常化することにもなる。ためらう理由はなにもない。

日本が一丸となって知恵を絞る。修学旅行ひとつとっても、地域活性化へ相乗効果をもたらす観点から再編すれば「オール・ジャパン」体制の一環となる。日本の価値再発見とアイデンティティの涵養、地域経済の活性化、教育上の有用性からも、検討に値すると思う。教育の正常化という一大事業も、こうした小さな工夫からはじまるのではないだろうか。


1. 文部科学省初等中等教育局国際教育課「平成23年度高等学校等における国際交流等の状況について」参照のこと。これによれば、公立高校の海外修学旅行先は韓国、中国、シンガポールなどアジアが多い一方、私立高校では米国、オーストラリアが圧倒的多数を占めている。公立・私立あわせて、毎年5~6万人の高校生が韓国・中国に渡航していることになる。
2. 財団法人自治体国際化協会ソウル事務所「日韓修学旅行の現状と今後の展望について」(1997)(PDF)では、韓国への修学旅行の実施にあたっては、
《(1)日本と最もゆかりのある韓国について、その風土・生活・歴史・文化・産業経済や日本との過去の関係などを正しく理解する
(2)同世代の青少年との体験的交流を通して、21世紀への日韓親善・友好の心情を培う。
(3)相互理解を深める中で、日本人としてのアイデンティティーと新しいアジア観・世界観を育む。》
とし、さらに、「韓国修学旅行のねらうべき教育的効果」として、
《(1)日本文化の源流でもある韓国とのふれあいを通して、文化交流のもつ今日的な意義を考える。
・・・・・・
(3)韓国の青少年との対話を通して、韓国語への関心と韓国文化への理解を深めるとともに、国際人としてともに学び行動する素地を養う。》(太字はいずれも引用者による)
等としている。
3. それぞれ、日本政府観光局(JNTO)「訪日外客数」、2012(平成24)年統計、ならびに法務省入国管理局「日本人出国者数」、2011(平成23)年統計による。
4. 1861(万延2)年、ロシア軍艦艇ポサドニック号によって占領された対馬からロシア軍を追い払ったのは、日本ではなく英国の東洋艦隊であった。

長岡 享
研究者
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