起業した人はあらゆる試練との戦いが待っています。よほど忍耐強いか、苦しむことを快感とするぐらいの気持ちがないとまず成功しません。
よく言われるのは起業して1年、3年、5年のハードルで5年まで超えることができるのは1割もないのですが、その5年続ける場合でもビジネスが大きくなっているのか、とりあえず自分の生活費が賄える程度の話をしているかによってだいぶ変わってきます。成功してどんどん大きくなっている人はそれこそ1%いるかいないか、というレベルになってしまいます。
私の周りのケースをみてみましょう。
Aさんは日中はフルタイムの仕事をしながら投資目的である商業店舗を友人と50:50の出資でオープンしました。ビジネスパートナーのBさんは持ち前のセンスとトークで店を取り仕切り、ビジネスは順調でした。ところがBさんが突如個人的事情により引っ越さなくてはならず店を管理できなくなりました。そのためやむを得ず、アルバイトの店員を雇ったところビジネスは見る見るうちに下降線をたどります。パートナーのBさんに戻ってきてほしいと頼んでもよい返事をもらえず、挙句の果てに納入業者から大幅な価格引き上げを通告され、行き詰っています。
Aさんの場合の問題点は片手間で儲けようとしたことでした。世の中そう簡単にビジネスが成功するわけありません。熱意を注ぎ、汗をかいてこそようやく人と同じところに立てるぐらいなのです。また、AさんはBさんがダメになった時のFail-safe(万が一の時の対策)を怠っていたことがあります。起業するならば少なくともすべてのことに精通し、指導できるノウハウは持ち合わせていないといけないのです。この場合、Bさんがすべてのカギを握っていたということになってしまいます。
同様のことは飲食店経営でもよく発生します。資金だけ出して「これ、俺の店!」と自慢する有名人や芸能人、投資家や企業家がいます。だいたいこの手の店はまず失敗します。なぜならお金を出す人と店を運営している人にパッションのベクトルが違いすぎるケースが多いからであります。縁の下の力持ちが何時もいるとは限らないのです。
もう一例。Cさんはかなり成功した起業家でした。いや、今でも成功はしているでしょう。ところが図に乗って拡大路線を突っ走りすぎてとんでもないミスを犯しました。それは店の賃料です。その店はネームバリューもあり常に満席のレストランで同じ店舗の隣を借り増しし、席数を増やしました。ところが流行の廃れとはこんなにあっさりとやってくるのか、というぐらい急速に経営は悪化していきます。
何が悪かったのでしょうか? まずフードのクオリティは標準的でした。サービスはにこやかにしないサーバーさんばかりでした。ではなぜ流行ったのでしょう。インテリア、器、クールなスタイルのサーバーといった外観重視だったのですね。この社長は私に「失敗だった」とつぶやき、その店は今、売りに出ています。
それ以外にも世界に羽ばたいたら失敗した例というのもあります。理由はここで成功したのだから外国でも大丈夫だろう、と思ったのでしょう。でも文化、風習、経済、社会システムを全く勉強せずに本能的に出店したことがあだとなり、今、たいへん苦しんでいる人もいます。
数年前、このブログで寿司屋の話を書いたことがあります。「寿司屋はなぜ二軒目ができないのか」であります。それはカウンター越しにオヤジが店の隅々まで目を光らせ、皿の取り換えからお茶の具合まで寿司を握りながら細やかにスタッフに指示を出すスタイルだからこそ流行るのです。オヤジのクローンはいないから二軒目はできないということです。
ちなみに中華料理店の二軒目ができない理由はご存知でしょうか? それは厨房にレシピがないからであります。中華のシェフは自分の極意とするレシピを紙に書いて他人に教えることは絶対にありません。だからチェーン店があっても店により味はすべて違うのです。
いろいろな失敗例を見てみると大別していくつかに分かれます。
一生懸命にビジネスをしようとしたか?
はやりや図に乗って拡大路線を突っ走っていないか?
自分の強みと共にビジネスに必要な経営ノウハウはある程度身に着けているか?
自分の仕事に愛を持っているか?
もっとあるでしょう。ですが、10人にひとり程度しか成功しないビジネスの難しさとはこんなところにあるのです。アルバイトのつもりでやり始めた仕事が成功したから本格的に始めるという人も案外多いものです。それはそれで奨励したいと思いますが、本格的に始めるにはビジネスの水準が全く違うということを肝に銘じてもらいたいと思います。
あの人、最近聞かないけどどうしたの? と言われたくないですよね。能力に合わせた高度で安定的に高さを増すような操縦を身に着けたいものです。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年7月5日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。