慰安婦と原発の確証バイアス

池田 信夫

江川紹子氏のインタビューした大沼保昭氏に典型的にあらわれているように、慰安婦問題には原発とよく似たバイアスがある。


第1の共通点は、騒ぐのは事件が起こってから参加した人だということだ。私のように朝日新聞が騒ぐ前に慰安婦を取材した者は、強制連行という問題が存在しないことを知ったが、大沼氏のように事件の発生後に参加した人は「何か問題があったはずだ」という前提から入る。朝日の報道を知っている「元慰安婦」は、それに合わせて話をつくるので、確証バイアスが補強される。

原発も同じだ。田原総一朗氏や私のように、3・11の前から原発とつきあっていると、問題が複雑だということを知っているが、事故が起こってから参加した人は「原発はとてつもなく危険なものだ」という第一印象を刷り込まれるので、その印象にあう情報だけを集め、それ以外の情報をみない。

第2に、このように事後的に問題をみると、可能性はゼロではないという確証バイアスが起こる。強制連行がないとわかっても、民間の「強制」はあるのではないかと証拠をさがす。吉見義明氏は定義を「植民地支配のもとではすべて強制だ」と拡大して、そういうバイアスに迎合する。

放射能の被害がないことがわかっても、「次に被害が出る可能性はゼロではない」という。福井地裁の判決のように地質学を無視すれば、史上最大の地震がたまたま原発の直下で起こって、原子炉を破壊する可能性もゼロではない。

第3に、事実を無視して感情で決める。最初から「慰安婦の強制連行を否定する人は女性の人権を否定している」というように相手を悪玉にすると、いくらでも攻撃できる。自分の動機は純粋なので、その信じている事実も正しいと思い込む。原発を肯定するのは「原子力村」や「御用学者」なので、最初から話を聞かない。理性より感情のほうが低コストの速い思考なので、人間はほとんどの問題を感情で決めるのだ。

こういうバイアスの起こる最大の原因は、一次情報と二次情報の非対称性である。慰安婦や原発に取材することはほとんどの人には不可能なので、圧倒的多数の情報消費者はマスコミの二次情報で複雑性をカプセル化して情報コストを節約する。このため朝日新聞がそれにつけこんで情報を操作するエージェンシー問題が発生する。

この問題はなかなか厄介で、経済学のエージェンシー問題のような金銭的インセンティブでは解決しない。朝日新聞がバイアスに迎合することは営業的には合理的であり、人々がそれを信じて過剰防衛することも合理的だ。本質的な解決策は、情報の非対称性を(ゼロにはできないまでも)減らすことしかない。一つの方法は、二次情報のカプセルを破壊して、一次情報を見せることだ。その意味で、ネットの役割は大きい。