IOJ(日本の将来を考える会) 一般投稿
(GEPR編集部・2013年4月時点の投稿論考を掲載する。原子力・エネルギーの分野からの分析だが、朝日新聞の論説の質の低さは明らかだ。朝日新聞の社説など、誰も真剣に読まないので話題にもならなかったが、あまりにもひどい。従軍慰安婦をめぐる大誤報による批判が渦巻くが、同社の報道の問題は他分野でも見られることを、一般読者は知った方がいい。)
はじめに
2012年3月から1年間の社説のうち、エネルギー・原発問題をめぐるものを分析する。福島事故後の1年間で朝日新聞は原発に関する社説を198回掲載したが、更にその後の1年間では132回と減少するも論説の質に変化はなかった
社説の中身
「掲載日『社説タイトル』:主なる主張→コメント」の形で拾いあげてみた。
1)2012年4月13日『原発再稼働と節電・大阪発で変えてみては』
発電施設を集中立地型から分散型へ転換しなければならない。地域の電力供給を一社にゆだね、安全もコスト計算も任 せる供給者主導から、電気を使う側が自ら考え、選べる消費者主導に移す必要もある。
→一般庶民が、エネルギー選択の手間の負担を背負うのか?
2)5月5日『原発ゼロ社会・市民の熟議で信頼構築を』
議論が社会から信用される生命線は、独立、中立、透明性だ。中立で独立した主催者のもとで、議論を誘導しないよう習熟したスタッフが進行役を務める。
→そんな理想郷があるのか?
3)5月19日『大飯原発・再稼働はあきらめよ』
再稼働に反対する各種の世論調査で、国民の意思があらわれている、であれば賢い節電の徹底と定着に全力を注ぐのが筋である。そのうえで、早く脱・原発依存の具体策を示し、法律を通じて抜本的な原子力規制の見直しを進め る。それなしに再稼働に動こうとしても、国民は納得しない。
→再稼動を容認する人の意見を聞き、再稼働しなくても日本経済が運営される具体策を例示してはいかがか? 関西圏の電力不足は深刻だ。
4)6月15日『原発寿命40年・最低限の基準を守れ』
「40年には科学的根拠がない」との指摘があるが、どんな設備でも古くなれば故障リスクは高くなる、寿命枠をはめる のは、国民の意志だ。
→国民が本当に言っているのか? 各国で40年以上の運転はされている。
5)6月22日『原子力基本法・安全保障は不信招く』
(原子力基本法改正で、立法目的に「安全保障」の言葉を入れたことを、朝日は批判。)核兵器開発の意図を疑われかねない表現であり、次の国会で削除すべきである。・・それなのに、原子力、宇宙開発といった国策に直結する科学技術に枠をはめる法律が国民的議論をせずに変えられていく、見過ごせぬ事態である。
→なぜ核兵器開発の意図を疑われかねないと断定するのか?
6)7月4日『反原発デモ・音ではなく声をきけ』
(石破茂自民党幹事長が大音量の示威活動を批判。朝日は石破氏を批判。)賛否が分かれる問題では、どちらを選んでも反対の声は上がる。・・ルールを守れば、デモも集会も民主主義への大事な参加方式だ。・・・既存の政治回路ではとらえ切れない声を直接聴く仕組みづくりにつなげるべきである。
→デモの尊重は、既存の政治回路を壊す方向にならないか?
7)7月19日『原発と活断層・ずさん過ぎる危険評価』
原発は津波の想定だけでなく、活断層の危険評価もずさんだったと言わざるをえない、きちんと国民に説明すべきである。
→なぜ活断層の危険性評価かずさんと言うのか疑問だ。朝日新聞の主張特定の専門家の考えを受入れている。
8)7月30日『国会を包囲する人々・民主主義を鍛え直せ』
抗議の根っこにあるのは、間接民主主義のあり方に対する強い不満である。・・・不信に動かれる「負の民主主義」を、 信頼と対話に基づく「正の民主主義」に。
→具体策の提言が必要だ。「正の民主主義」とは意味が不明。
9)8月7日『新型世論調査・熟議へ改良を重ねよう』
(民主党政権が世論調査で原発政策を行う姿勢を出した。)取り組んだ姿勢を評価したい、通常の世論調査にない利点がある、多くの人が納得できる手法を見出し改良させよう。
→試行錯誤し民意反映の仕組みを作りあげて行く必要はある。ただし、一つの試みにすぎない。欧米のやり方を導入して日本に合うかはきちんと見る必要があり、この議論は反原発に傾いたものの、政策化できなかった。
10)9月15日『新エネルギー戦略・原発ゼロを確実に』
原発ゼロは現実的でないという批判がある。しかし、・・・原発が巨大なリスクを抱えている。簡単ではないが、努力と工夫を重ね、脱原発の道筋を確かなものにしよう。
→総論は賛成だが、具体策・各論が重要であるのにそれがない。人の褌で相撲を取るのではなく、自分の工程表を示してほしい。
11)10月13日『大飯原発・稼動継続は無責任だ』
大切なのは停止すべきかどうかを、責任を持って判断できる体制だ、政府・規制委ともに需給予測や安全性といったそれぞれの領域で責任を担うべきだ。近隣や消費地の声を、国と規制委は重く受け取るべきだ。
→責任を主張しているが、現状は法制度上の根拠、立法措置もないまま、原発を感情で止めている。行政・国会の無責任と無作為を追求していない。
12)10月29日『地震と科学・限界を知り、備えよう』
大切なことは、科学的な情報をその限界とともにきちんと伝え、命を守る行動につなげていくことただ。科学者と、 最終的な責任を担う行政との分担も明確にしておく必要がある。
→11と同じ。
13)12月29日『原発新増設・「反省ゼロ」ですか』
(原発の新増設を政府が否定せず。)新増設を認めて、どうやって原発を減らしていくのか、これでは「反省ゼロ」政策だ。むしろ電源構成の思い切った組み替えや電力システム改革を進めたほうが、新しいビジネスや雇用を生む芽になる。・・地震学は進歩したが、社会が求めるレベルとは、大きな隔たりがある。限界を認めつつ、最新の研究成果を防災にどう役立てていくのか、地震学者の責任は重い。
→原子力規制委員会に関わる地震学者の行動は電力会社と対立を生んでいる。彼らの行動の是正を求めることが必要なのに、それを一度も社説では言及しない。
14)2013年2月1日『原発安全基準・これでよしではない』:
(新基準についての言及。)発想が逆だ。危ない原発、動かさない原発を仕分ける基準として位置づけるべきだ。・・・少なくとも、免震や自家発電の機能をもつ「緊急時対策所」の設置などは、再稼働の必須条件とすべきだ。
→朝日新聞の論説委員は、原子炉の耐震性について限られた知見しか無い素人のはず。安全性を主張するのは、明らかにおかしい。
15)2月20日『原発推進派・規制委批判のピンぼけ』
批判の出どころは、もっぱら原発の再稼働を急ぐ人たちだ。・・・原子力の役割を重視しているのも確かだ。「将来的に原発ゼロにすべきだ」とする朝日の社説とは立場が違う。・ただ規制委は少なくとも事故の反省にたち、信頼回復の第一歩として厳格に向き合っている、そんな専門家たちの営みを、原発推進派がつぶそうとしている。
→推進派と相手にレッテルを貼り、その主張の中身をみない。
16)3月8日『テロとミサイル攻撃・脱原発こそ最良の防御だ』
原発攻撃は、あり得ない話と切り捨てられない、リスクを減らすには原発をできるだけ早く減らせばならない。⇒論理の飛躍があり過ぎる。
浅い内容の社説、変化は期待できない
以上のように、論旨の問題点が誰でも指摘できるほど、朝日新聞の社説は、エネルギーと原発をめぐる思索が浅すぎる。
一連の社説は、別の意見の黙殺が多く、反原発の主張を押し付ける問題点が共通している。「中立・公正」でもない。事実からも離れている。「何でも反対」だけが目立つ。
新聞の論評の理想を言えば、以下の3点を要望したい。
1)批判ではなく、提言を
「日本をどういう社会に作っていったらいいのか」ということの基礎情報を提供してほしい。それも反対を含めた多様な意見を思索した上でだ。批判は誰でもできる。
2)主張に責任を
いずれの社説も、現実の一般記事も、批判はいいものの、具体性に乏しすぎる。
3)専門家、読者の質に近づく努力を
朝日の社説を分析と、専門性のない論者が、いろいろな問題に断言をすることが目立った。事実、そして科学、また専門性に謙虚であるべきなのに、それをしない。かつてのように、新聞が世論を主導する時代は終わっているのに気づかず、日本の人々の見識を信じていないようだ。専門家、人々の意見、そして多様な価値観への配慮が乏しい。
自分の論説を変える謙虚さが朝日新聞にはほしい。しかし、彼らは変わることはなさそうだ。