内閣改造前に燃え尽きる閣僚たち

田村 耕太郎

3000回超える答弁で歯が壊れる大臣

「内閣改造で私が内閣を去ると噂されているが、本気で辞めさせてほしい。大臣に指名された時は、野党から与党に復帰したばかりだったし、やりたい政策を久しぶりに思い切りやろうと張り切った。だが国会が始まって、現実に引き戻された。委員会に忙殺される今の大臣職なら1年以上はもたない。こんなことを言ってはチャンスを与えてくれた総理に申し訳ないが、本音では早く辞めたい。地元に帰ることができないどころか、家族にも会えない」と漏らしてくれたのは親しい某閣僚。

国会審議を簡素化する国会改革は急務だと思う。先ごろ複数の閣僚とある案件について懇談した。皆がかなり疲弊していた。大臣に就任してから今までに3000回答弁して、ストレスのために歯を1本つぶした閣僚もいる。親しい議員も国会に忙殺されておりゆっくり話すこともできない。ここらで国会での審議のあり方を見直すべきだ。そうでないと政治家が国のかじを取ることができなくなってしまうと思う。


国会審議は、“無駄が多すぎる会議”だ。結論が既に出ていることについて、「時間を費やし議論を尽くした」という伝統芸能のような証拠を残すためだけに、膨大なコスト――1人当たり4億円ほどの国費と、議員の相当な時間――を投入している。ビジネスパーソンの皆さんが日々の業務の中で「最悪に無駄だ」と感じている、“結論が出ているのに、議論のアリバイ作りのためにやる会議”と同じと言えるだろう。

会議を開いても、そこでのやりとりから、国益にとって建設的なものが生まれることはほとんどない。もちろん、皆無ではない。ある法案や予算の審議中にスキャンダルを含めて大きな事件や事故が起きて、国益に沿うものに変わることもある。メディアの報道が過熱し、それに敏感な政治家たちが法案や予算の内容をその事件・事故の善後策として適当なものに変えることもあるからだ。また、野党や与党内野党に属す、真面目に国益を追求している優秀な議員による追及を受けて、法案や予算の一部が変わったりすることもある。これらは確かに、国会が開かれているからこその出来事である。

アリバイ作り、見せ場作りに成り下がる国会

ただ、現在の自民公明連立与党のように、与党が両院で安定的な過半数を持っている場合、国会の審議で内容が変わったり、審議が賛否に影響したりすることはほとんどない。法案が国会に提出された時には、与党内審議を既に終えているので、基本的に議論は出尽くしている。与党は賛成で固まっているわけだ。

与党内審議にも政府内の議論にも参画できない野党の議員にとっては、国会の委員会・本会議が、政府与党を追及する唯一かつ最重要の見せ場となる。だが、えてして、国益の追求より、与党議員や閣僚のスキャンダル追及や自分の選挙区への「頑張っています」アピールになりがちだ。したがって、真面目な与党議員や閣僚にとって、国会での時間浪費はたまったもんではない。現職国会議員に、特に与党議員に匿名でアンケートをとれば、間違いなく圧倒的多数で「無駄な時間」と答えるだろう。

私は委員会の委員も理事も委員長もやった。特に与党議員としてやったので、本当に国会での会議が嫌で、その時の人生の時間を返してほしいといつも思っていた。結論が決まっているのに、野党のスキャンダル追及や選挙区向けアピールのために、どれだけの政策立案の機会や海外視察の時間が失われたことか…。

委員会でエコノミー症候群?

特に新人・中堅議員はつらい。与党でも野党でも、こういう時間の無駄を乗り越えて、議員は幹部になる。幹部から「俺たちもやったんだからお前らもやれ」との指示を受け、委員会の窮屈な椅子に座っていないといけない。毎日の長時間のお勤めでエコノミー症候群になるのではと心配されることもあった。

日本の国会には定足数がある。委員である議員が、本会議なら最低3分の1、委員会なら半数がずっと座っていないといけない。もし定足数が欠けたら、野党が審議のストップを要求するので、政治家としての成長の役にも立たない議論を聞いていないといけない。国会議員が忙しいことの元凶は実はこの時間である。アメリカならば、質問のある議員とそれに答える政府の人間と、2人で委員会をやる。他国なら答弁は閣僚でなくてもOKだ。

日本の場合、最も悲惨なのが冒頭で紹介したような閣僚の役割である。両院合わせて月曜から金曜まで毎日、ほぼ終日、委員会に縛りつけられ、いろんな質問に答えないといけない。某閣僚が遅刻したことが問題になったが、閣僚をこれだけ国会に縛り付ける国はほかにあまりない。答弁ミスを犯さないように、閣僚と役所が事前に答弁のすり合わせをする必要もある。このため、委員会が開催されている時間以外にも相当な時間が早朝や深夜に費やされる。こうやって日本の省庁のトップや、その周辺の官僚の貴重な時間が失われていく。

政府に入っている政治家が多忙すぎるので、官僚主導になるしかない。野党が与党を批判する際の専売特許は「官僚主導」つまり大臣のリーダーシップ不足だ。しかし、皮肉なことに野党の大量の質問こそが、政策を考えるための時間やエネルギーを大臣たちから奪い、省内でリーダーシップを発揮することを疎外しているのだ。

政治ニュースが「この法案は70時間審議されました」と報じることがある。その70時間には、その法案に関係ない質疑や、「お前この前の審議聞いていなかったのか?」と言いたくなる繰り返しの質疑がたくさん含まれているケースが多い。審議時間にあまり意味はないと言いたい。

田村耕太郎流 国会改革私案

最低でも以下のことは実現すべきだと思う。

閣僚を答弁者からはずす
提出する法案の数を絞る
委員会の定足数を廃止する

これらを変えれば、政治家や閣僚が、本来の役割――国益を実現するための政策立案や現場視察――に時間を費やすことができるようになる。首相や大臣がコロコロ変わるのはよくないと言われるが、今のように国会開会中は朝から晩まで答弁ばかりさせられていては、大臣の体力も気力も持たないと思う。

国益を実現するべく政治家を働かせるために、最低限でもこれらの改革が必要だと思う。野党議員は相手が副大臣だろうが、官僚だろうが、見せ場はいくらでも作れるはずだ。さらに野党議員は、選挙区や現場を歩いてより良い質問や政策を練り上げることで見せ場を作ってほしい

日経ビジネスオンライン記事より転載
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20140401/262089/?P=1