「捨てられない」日本人気質が背景にある「古家問題」 --- 岡本 裕明

アゴラ

増加する古家の対策として第三者に貸し出す動きが出てきました。8月20日の日経電子版にも千葉県流山市で行政が積極的に介入し、業者とのとりまとめをしているようです。千葉県だけで30万戸、全国では820万戸もあり、その比率は全国で13.5%に上っています。

この降って湧いたような古家対策は7月29日の総務省の13.5%の発表が衝撃的であったこともあり、テレビのワイドショーからメディアのネタまで広く議論されています。

役所を始め、世論の議論は増えすぎた古家、建て過ぎた住宅に防災安全上問題があるとして、その建物をどうにか始末をつけようという発想の中で「化け物屋敷」は取り壊し、そうではないものは第三者に貸すことでこの問題を切り抜けようとしています。


では、第三者に賃貸することががうまくいくか、といえば、私は残念ながら簡単ではないとみています。

まず、何年も人が住んでいなかった古家に第三者が入居して心地が良いか、という需要側の立場に立ってみましょう。

日本は元来、リノベーションに対する発想が欧米に比べて遅れています。理由はたくさんあります。22年という木造の償却の短さ、もともと紙と木の住宅は耐用性を重視しておらず、悪くなれば新しいものを求める日本人の気質もあります。それは中古住宅販売が北米のそれに比べ、比率として圧倒的に少ないことが裏付けています。

それと欧米に比べて日本人の住宅にはなぜか、狭いのにモノが多いのです。多分、高度成長期に次々とモノを買い、中元歳暮を含めた贈答の習慣、そしてそれらを捨てず、ずっと持ち続けるところがアメリカの「どんどん捨てる文化」と相違しています。結果として家はモノで溢れ狭い家がただでさえ狭くなり、リノベーションどころではなくなってしまうのではないでしょうか?

私の実家に行けば母親が一人で住んでいるのにフライパンが4つとか、鍋釜がごろごろと出てくるのですが、「捨てたら?」といえば「これは高かった」と言って大事そうに仕舞っているわけです。高齢者の一人住まいでフライパンが4つ必要なわけないのですが。

住宅は人が住んでこそ生きるものです。住宅は生き物であるともいえるのです。人が住み、掃除をし、細かい手入れをしてこそ、その耐用性は長くなります。ところが古家=長年高齢者が住んでいた住宅となればモノで溢れ、メンテが非常に限定されていた上に一定期間の空き家となっているケースが多いわけですから家そのもののガタはかなりきていると考えるべきです。

私はかなり古いロードレーサー型の自転車を持っているのですが、ある時それに乗っていたらギアの調子が悪く、一緒に走っていたイタリア人が「こんなボロ、メンテするより買い換えた方が安い」と断じられ、愕然としました。が、古家も考え方としては同じでいくら手を入れても第三者が満足するような状態にはなかなかならないのです。数百万円かけてリノベしてもあっちもこっちも悪いモグラ叩きゲームのようになるのが実情でしょう。とすれば借り手からは苦情を言われ、改修、修繕の資金ばかりかかります。決して商売になるなど考えない方がよいと思います。

私はズバリ、古家は壊してしまうべきだと思っています。

私は日本の法人を通じて昨年、都内に二軒、不動産を取得したのですが、両方とも古家付。私は買った翌日から解体業者を入れました。理由は火事や防災上のリスクが怖いからです。仮に古家にとんでもない輩が火遊びして火事が起きたらどうなるでしょうか? 多分、損害保険に入っていないでしょうから延焼でもしたらそれこそ土地の資産がぶっ飛ぶぐらいでは済まないのです。

古家の立っている物件の固定資産税低税率適用の問題はどうするかであります。これは国交省が見直しをしている様ですので早くその結論を見たいと思いますが、私なら固定資産税の低税率適用の条件として電気やガスなどを実際に使用し、生活している実態がそこにあることを要件とします。簡単なことです。つまり、空き家は低い固定資産税率の対象にしないことです。カナダでは「実態」を重んじますので法律の解釈にこのような要件をつけることはごく普通であります。

私が望んでいることは不動産の流動化であります。日本人は不動産を一旦抱えたら死ぬまで手放さず、最後、相続人がやむを得ず売却するケースが見受けられます。私のところに最近持ち込まれた案件の一つに5年も前に私から買取提案をさせていただいた物件があり、当時は所有者が売却を拒否。ところが今になって買いませんか、とすり寄ってくるわけです。理由は空き家になったから。あの時売って売却現金を投資に回していれば結構増えていたかもしれません。

実にもったいない話なのです。来年から相続税のバーが4割上がることで生前売却が加速しないかと思っています。それを後押しするのが固定資産税問題でしょう。死んだあと子供たちが相続でもめるというのは決して幸せではありません。山崎豊子の「女系家族」の小説はこのままでいけば正に2015年に現実化する問題なのかもしれません。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年8月22日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。