最初は一人の元軍人のホラにすぎなかった「慰安婦狩り」の話が、日韓関係を破壊する大事件に発展した経緯は、関係者の誰も意図しなかった手違いが重なって起こった競合脱線のようなものだ。この事情は複雑で、細かく説明するとかえって全体像が見えないので、一目でわかるチャートにしてみた。
1982年に吉田清治のつき始めた嘘は、最初は誰も相手にしなかった。慰安婦が注目されたのは1991年に金学順の証言が出てからだが、これは最初は賃金未払い問題だった。この年の12月に出された訴状でも「40円でキーセンとして売られた」と書かれている。ところが朝日新聞の植村記者がこれを「強制連行」と報じたため、話が国家犯罪になり、混乱が始まった。
実は92年1月の記事は強制連行の証拠を示すものではなく、陸軍の通達は「関与」の証拠だった。しかし植村記者がその解説で「挺身隊の名で強制連行」と書いたため、強制連行の証拠が出てきたような印象を与え、宮沢首相が謝罪してしまった。首相が謝罪すると、外務省としては何らかの根拠を考えないといけないので、広義の強制という言葉を発明し、河野談話はそれを認めるものとして出された。
この過程で意外に重要な役割を果たしたのが、福島みずほ氏だ。最初は単なる身売りの話だった金学順の証言が、法廷では「軍に連行された」という話に変わった。これは福島氏が朝日の誤報に合わせて強制連行に変えたものと思われる。福島氏は1993年の日本政府のヒアリングにも参加したので、このとき元慰安婦と口裏を合わせたのだろう。しかし調査ではその証言を裏づける証拠は出てこなかったので、河野談話は玉虫色になった。
この1993年の段階で、朝日新聞は強制連行の根拠がないことを知っていた(検証記事で認めている)。ここで彼らが撤退していれば、今ごろは慰安婦なんてだれも覚えていないだろう。ところが彼らが「広義の強制」に問題をすり替えて日本政府に賠償を求めたため、混乱が拡大した。
これを裁判に利用した福島氏が、朝日の誤報を虚偽証言で裏づけたため、さらに国際的な誤解が広がった。このあと元慰安婦に取材した欧米メディアや国連などは、すべて「連行された」という証言を聞き、それを報じるようになった。元慰安婦の証言が二転三転して矛盾しているのは、福島氏や挺対協が嘘を教え込んだからなのだ。
彼女も最初は、訴訟で日本政府から和解金を引き出す方便ぐらいのつもりで朝日の誤報を利用したのだろうが、韓国政府が外交問題にしたため、引くに引けなくなった。今に至るも彼女がこの問題にノーコメントなのは、説明すると論理が破綻するからだ。
最初は身売りしたと証言していた金が、なぜ法廷では「連行」と証言するようになったのか。誰が嘘を教え込んだのか。福島氏が口裏を合わせたのではないか――議院証言法違反に問える証人喚問で、彼女にこれを質問し、訴状と法廷証言の矛盾を追及すれば、疑惑の核心に迫れる可能性がある。