私の周りにいる中高年層でビジネスが成功し、安定した業績を残している方々、起業家、あるいは単身になってしまった比較的裕福なシニアの方々に爆発的な消費傾向が見て取れます。今までこれ程ではなかったのではないかという気がしますので書き留めておきます。
北極旅行、南極旅行、別荘購入、1000万円越えの車購入、100万円以上する腕時計購入などなど自慢などせず、ごく自然に行動しているそれらシニア、あるいはシニア予備軍の人たちの共通ワードは「十分仕事をしたので今度は自分の為に時間とお金を使いたい」というものです。
私の知る限りこの高額消費の傾向が強い人たちは起業家、創業者タイプでがっつりビジネスを享受した方々のようにお見受けします。それは「自分へのご褒美」というよりアグレッシブなビジネス経験から消費もエキストリームな貪欲さを見せていることが潜在的にあるかもしれません。が、もう一つ、相続税で持って行かれるなら自分で使うという判断を下していることもありそうです。
誰の為に働いたか、といえば自分と自分の家族だと思いますが、子供にどれだけ残すか、と考えた時、子供にとって分不相応なほど残す意味があるのかと私は考えています。最近は変わりつつあるのですが、私が初めてアメリカに行った80年代初頭、よく言われたのが「子供は子供、だから遺産は残さない」という発想でした。一方の日本はいかにして子供になにがしかの資産を残してあげるか、今も昔も変わっていないと思います。
日本でよくある家族間のやり取りとして「ここに○百万円の定期預金があるからね、何かあったら覚えておいてね。」という会話でしょうか? 相続税に縁がない普通の家庭においてすら親と子の間で必ずと言ってよいほど交わされている「伝達事項」であります。親はなぜ、子供に定期預金の通帳を残すのか、といえば葬式代というよりも子供が今後生活していくうえでなにかあった時の為に、という親心なのだろうと思います。
子供は知らず知らずのうちに親の資産を「計算」し、兄弟の中の取り分を自分の頭の中で期待値として計上しているように思えます。それは親から貰えるであろう資産を担保にした精神的安心感なのでしょう。
では「子供は子供」のはずだったアメリカ。親のように稼げない、親の資産を計算した途端働く気をなくした子供たちにとって「住宅購入の頭金は親から」という援助はごくごく普通になってしまいました。以前にもご紹介しましたが、アメリカの労働参加率低下が問題視されていますが、参加率低下はシニア予備軍の早期退職ではなく若年層の労働参加率の低下に問題があります。マスコミはそこを見落としています。つまり、子供が親に頼った瞬間、子供はダメになると言ってもよいのでしょう。
だからこそ、冒頭にご紹介した一部のシニア起業者達が爆発的消費をして、自分の好きなだけ使い、アメリカの様に残ったら社会に寄付して還元するという動きは結構なことであると思うのです。
貯金のレベル云々の水準にかかわらず、シニアだっておしゃれしてお友達と品の良いレストランで美味しいものを食べることで気持ちの張りができて元気になるものです。どんどん使ってもらいたいと思います。
では孫への教育資金の贈与。仕組みとしては良いと思います。教育にお金をかけすぎることはないというのが私の考えです。その時の投資は必ず返ってきます。知り合いの男性の家庭にパーティーで呼ばれた際、その方がおもむろに家にあったピアノを弾き始めたことがあります。ピアノを弾くという話を聞いたことがなかったのでびっくりして聞くと小さい時に少し習った程度と言います。しかし、そんな教育をした彼の親は立派だったと思いました。
多分、多くの壮年層の女性はピアノを習ったことがあるはずです。あの頃、ブームでしたから。ですが、「下手」とかコンクールで賞を取れなかったと言って何年もピアノから遠ざかっている人がほとんどでしょう。でもちょっと人が集まった時、簡単な曲を1、2曲弾けることで十分なんです。これでその人のセンスアップ度は大いに上がるのです。幼い時の教育というのは様々な才能を子供に植え付け、できるという自信がつくのです。だから教育資金の贈与には意味があると思います。
ただ、貰い癖をつけてはいけません。それこそ、裕福な家庭が潜在的に抱えている子息の労働意欲の低下やハングリー精神の欠如を生むことになります。私は基本的には人生は独立独歩、稼いだ金は自分で使う、という発想でよいかと思います。そして一部のゆとり層がえっと驚くような高額消費をいともたやすくするようになったことに私としてはむしろ、健全さすら感じています。これがごく普通のシニアの方々にも伝播し、張り合いのあるライフを長く送れるそんな社会になってもらいたいと思います。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年8月24日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。