経産省が演出する「中小企業の賃上げ」 --- 杉林 痒

アゴラ

実質賃金減で、どうなる日本経済

中小企業の64.5%で賃金を引き上げた──。アベノミクスの経済効果が広がっているかのような調査結果を経済産業省がまとめた。中小企業まで賃上げが広がれば消費にはずみがつき、消費増税の反動で停滞感のあった景気も持ち直すのではないか。だが、実際の数字を見ると、サイフのひもを緩められる状況ではないようだ。

まず、経産省がまとめた統計を見てみよう。

回答は3万社の中小・小規模事業者のうち3分の1の約1万社から寄せられた。64.5%というのは「賃上げをした」と答えた会社の割合だ。従業員数ではない。


対象は、常用雇用者で、賃上げには「定期昇給」が含まれている。定期昇給は、1年働いた評価を受けて給料が上がるかどうかだ。これが1年先輩の水準に追いつかないと、労働者全体でみれば支払われる賃金は減り、消費にはマイナスだ。定昇を上回るベースアップがあってはじめて、労働者全体の賃金が上がる。消費増税があった今年度、ベアがなければ給料で買えるものは減るため、消費増税分を上回るベアがあるかどうかがポイントで、定期昇給があるかどうかでは、最初からピントが外れている。

経産省の調査結果をベアがあったかどうかで見ると、その割合は36.2%まで下がる。おおまかにいって、労働者の3分の1は定期昇給さえなく、3分の1は給料が上がっても1年先輩に追いついていない。残りの3分の1がようやく先輩を上回るベアがあったことになる。これでは、中小企業全体で見ると賃金は減っていることが推定できる。

実際、厚労省が毎月行っている「毎月勤労統計調査」によると、6月の所定内賃金の平均は前年同月比0.2%しか増えていない。これを30人以上の企業で見ると同0.7%なので、30人未満の企業では減っている可能性が高い。0.2%でも増えたということは、今春に全体としてベアがあったことを意味するが、今年4月に消費税率が上がったことを考えると、実質的な賃金は下がっている。6月は「きまって支給する給料」で実質賃金が前年同月比3.8%減と、4月以降、4%近い大幅な下落が続いている。

日本銀行によると、消費税が5%から8%に上がったことの物価への影響は2%程度とされる。それに、アベノミクスによる円安で輸入物価が上がったことや生鮮食料品の値上がりによる実質的なインフレが日常生活に影を落としていることがわかる。

アベノミクスによるインフレ目標の2%は「異次元緩和」による政策的なものなので、物価は引き続き上がり続ける可能性が高い。ところが日本の労働者は、アジアをはじめとした新興国の労働者と競争させられているため、賃金は上がりにくい。今後も、実質的な賃金は下がり続ける可能性が高い。さしあたっては、来年秋にも消費税が上がるため、その時点で実質賃金は5%以上下がることになるだろう。

さらに、毎年秋の厚生年金保険料をはじめとした負担増で可処分所得は減る一方だ。仮に、来年秋の消費増税を予定通りに行えば、増税の反動源と、厚生年金保険料の値上げが重なり、消費が大きく縮むことが予想できる。

アベノミクスによる異次元緩和は、株価を押し上げ、日本経済にとってカンフル剤的な効果はあった。それは、実質的な経済活動に裏付けされたものではないため、安倍政権が公表しているように、経済の本格回復につなげる政策が必要だ。しかし、これまでのところ、有効な対策が打たれているとは言い難い。現状は、年金積立金を株式市場に入れる株価維持策(PKO)ぐらいで、これもカンフル剤程度の効果しかないだろう。

今後は、日銀が買い込んだ100兆円を超える国債と、すでに1兆円は流入したと言われる年金積立金のPKOでは、日本経済を支えきれない可能性が高い。それどころか、さらなる介入を続けて泥沼化する心配さえある。

それは、国債の暴落による超インフレと景気の後退が重なるスタグフレーションだ。そうなると、国家予算の半分を占める国債の発行ができず、インフレで年金の価値も大きく下がる。高齢者が多く持つ貯蓄の価値も下がる。若者も職を失い、高齢者を支える余裕もなくなる。すでに高齢化が進んだ日本で、そのようなことが起きれば、戦後の混乱期以上の社会不安が広がるだろう。

とはいえ、国際公約である消費増税をいまさら取りやめると、国債の信任を落とすことになり、危機が前倒しされる可能性がある。この危機を前に国民の所得が増えているかのような宣伝をしても、現実とのギャップは広がるばかりだ。来年の秋をデッドラインとして、実質所得が減っても社会保障の充実で国民に返ることが実感できる政策を打つことができるかどうかが問われている。

杉林 痒
ジャーナリスト


編集部より:この記事は「先見創意の会」2013年8月26日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。