産経新聞電子版(8月29日)をフォローしていたら、「石井一民主党元国家公安委員長(80)が29日、神戸市であった自身の旭日大綬章受章記念パーティーで、北朝鮮による拉致問題に触れ『日本政府はいまだに横田めぐみさんらを返せと騒いでいるが、もうとっくに亡くなっている』と発言した」という記事が目に入った。元公安委員長を務めた政治家であり、自身も「北朝鮮事情に精通している」と豪語しているから、その情報にはかなり自信があるのだろう。
めぐみさんの生死については、北朝鮮側が2002年、日朝首脳会談で拉致を認め、「遺骨」を提出したが、日本側が鑑定した結果、別人のDNA型が検出された。そのため、北側の発表にもかかわらず、「めぐみさんは生きている」といった期待が膨らんだ経緯がある。ご家族がめぐみさんとの再会を願って、帰国を待っておられるときだけに、やたらな情報を流すことは慎むべきだろう。めぐみさんは北朝鮮の日本人拉致事件のシンボル的な存在だ。そのめぐみさんが石井元国家公安委員長がいうように、すでに亡くなっているとしたら、拉致問題の全面的解決を目指す安倍晋三政権にとってはかなりショックとなることは間違いない。
ところで、数年前、韓国の知人から緊急のメールが届いたことがある。「めぐみさんがウイーンにいて、生きているという情報がある。至急、その情報の真偽を確認してほしい」というのだ。「あのめぐみさんはウイーンに住んでいるというのか」と当方もびっくりしたが、すぐに「確かに、おなじ名前の人物はいるし、当方も彼女をよく知っている。しかし、拉致されためぐみさんではない」という結論に達した。その旨をソウルに送信したことがある。
音楽の都ウィーンにはめぐみさんがいる。ここでそのめぐみさんの詳細なことは本人の許可がない限り書けないが、当方は冷戦時代からそのめぐみさんを知っている。駐オーストリアのハンガリー大使館領事部で偶然会ったこともある。彼女は知り合いのためにブタペスト行きのビザを申請しようとしていた。それも複数の旅券を持っていた。当方はめぐみさんと世間話をしながら旅券発行窓口で並んで番が来るのを待っていた。ところが、めぐみさんの番が来た時だ。「ちょっと思い出したことがある」と言って急に出ていったのだ。旅券をもらうために待っていながら、自分の番が来たら、出ていったのだ。めぐみさんの次の番が当方だったので、「あれ」と思ってびっくりしてしまったことを今でも鮮明に覚えている。なぜ、ウイーンのめぐみさんは突然、出ていったのだろうか。
その答えは、めぐみさんが手にしていた知り合いの複数の旅券にあるはずだ。めぐみさんはその知り合いの名前が当方の目に入ることを避けるために急に出ていったのだ。彼女が恐れていたことは旅券所有者の名前が当方に知られることだ。もちろん、この部分は当方の推測の域を出ないが、当方はその推測が正しいことにかなり自信をもっている。
当方はこのコラム欄でも数回、「東西両欧州の架け橋的な役割を果たしていたウィーンは1980年代、90年代、日本赤軍の拠点となっていた」と書いたことがある。多くの赤軍メンバー、シンパ、連絡係がウィーンを拠点に暗躍していた。ウィーンに住むシンパや連絡係はメンバーの旅券の手配などをしていた。
韓国の知人がウィーンにめぐみという名の女性が住んでいることをどうして知ったのだろうか。知人によると、「めぐみさんがウィーンでテニスをしているところの写真がある」という。かなり情報には自信があったのだろう。その知人の名誉のために説明すれば、ウィーンのめぐみさんも当時、北朝鮮とは無関係ではなかったことを知っている。だから、どこかで、情報が混乱したのだろう。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年8月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。