格闘技界のレジェンドから学ぶ仕事術(1)指導者を超える弟子を育てよ

常見 陽平
中井祐樹
イースト・プレス
2014-08-07



格闘技のレジェンド、中井祐樹氏と対談した。彼はこのたび『希望の格闘技』(イースト・プレス)を発表した。彼の勝負論、プロ論だ。ビジネスパーソンが部下・後輩の指導に必要なエッセンスがつまっていると感じた。対談を数回にわけお届けする。


■普通のビジネスパーソンこそ、格闘技から学ぶべし
常見:このたびはご出版おめでとうございます。レジェンド、中井祐樹先生と対談できて大変光栄です。

中井:ありがとうございます。札幌つながりですし(笑)。

常見:永遠のライバル、札幌北高校と札幌南高校出身者の対談ですね(笑)。中井祐樹先生の試合は、実は学生時代、かなり観ていたのですよ。日本武道館でも、駒沢体育館でも。

この本は「教育・指導の本」であると思いました。私は大学で非常勤講師をしており、来年は千葉商科大学に専任講師として就職することになったのですが、「教育とは何か」ということに、一教育者として常に悩み、試行錯誤しております。これまで、ずっと講演活動をしてきました。それなりの評価を得ていました。ただ、大学の非常勤講師をするようになってすぐ「講演」と「講義」は違うということに、気付きました。「講義」では、体系化された知識を習得してもらわないとならないです。単に面白いものだけではいけません。研究者・教育者の家庭に生まれたのですが、母からは「ウケを狙うな」「金八先生ごっこはやめろ」と、いまだに説教をされることがあります。それはいちいち正しいと思うのです。「教育・指導」について、格闘技の指導者である中井さんは、「答はない」と断言しているところが、この本の凄味であると思います

中井:そう言っていただけると、嬉しいです。この本の核心を掴んでいらっしゃると思います。

常見;今はなんといっても「ネット」が大きな存在感を持つ世の中で、ネット上では「簡潔にキレ味の鋭いこと」をいう人が人気者です。そういった人は「頭よさげ」に見えるとは思うのですが、「教育」の場で求められる言葉は、それとはまったく違う種類のものですよね。

中井:僕もそう思います。「答がない」という言葉自体はあいまいですが、姿勢としては「答はない。でも考える。もがく」。僕はそのスタンスで格闘技をしてきたし、教えてきました。

常見:なるほど。私、この2年間、大学院に入り学び直したのですが、教授たちからも同じようなことを言われました。「君は、簡単に答を出し過ぎる」と。本当はどうなんだろうか。考え続ける姿勢が大切です。

中井:これは一般の人が格闘技以外の仕事や勉強に取り組むことと一緒だと思います。格闘技はファイティングスポーツではあるけど、格闘技が他の仕事と比べて「特別なもの」では全くないです。格闘技では目標として例えば「最強になる」ということを挙げる人もいるだろうけど、「格闘技を通じて人生を謳歌する」という目標の人がいてもいいはずです。格闘技をすることは決して特別なことではないのに、そう断言している人がほとんどいません。同じような趣旨のことを言っていたとしても、僕の言い方とは違います。それは『希望の格闘技』を書いた動機の一つかもしれませんね。

常見:この『希望の格闘技』は色んな読み方ができる本ですよね。格闘技ファン、中井祐樹ファンは、アメリカやブラジルでの試合の裏側や、もはや伝説となっている1995年4月20日の試合の実情について記述を楽しんだり、弟子の青木真也選手の指導の背景を深読みしたりしていると思います。一方で、より一般化して「指導者論」や「プロ論」といった射程の広い議論としてとらえる読み方もされていると思います。読者からの反響はいかがですか。

中井:むしろ「格闘技を知らない人が読んだ方がいいのでは」という感想が多いです。自分としては「格闘技」ではなく、「格闘技を通して感じたこと・学んだこと」を書いているつもりなので、後者の読み方をしていただけることは、僕にとっても嬉しいです。読者の何かヒントになることを願っています。

■指導者を超える弟子を育てるべし
中井:指導においては、先生と呼ばれることもあるのですが、僕は「技そのものを教える」のではなく、「やり方を伝える」という感じですね。くだけた言い方をすれば、「僕はこのやり方で、こっちに向かっている。でも変えちゃってもいいよ。だって君たち、僕のことを絶対に抜かすからね」といった具合です。その「伝え方」が次の代にも引き継がれて、結果的にもっと大きくなっていくように、方向づけることこそが「指導」であると考えています。弟子の青木真也や佐々幸範や上田将勝や北岡悟が、僕のことをこえていくというのは「当たり前」のことです。でも格闘技の世界では、この僕が「当たり前」と思うことを言う人があまりいないのです。

常見:なるほど。中井さんの「弟子は指導者を超えるもの」という価値観が今の日本、特に企業社会においては大切であると思います。「ブラック企業」と呼ばれる会社は、なぜ「ブラック」なのかというと、原因の一つは「システマティックになり過ぎていること」が挙げられます。例えば「店長の仕事はこれ!営業の仕事はこれ!」というように、組織の目標から論理的に役割が導き出されています。前提として、商品やサービスの質を一定以上にするための標準化は必要だと思うのです。トヨタ自動車だって、標準・基準を明確にするからこそ、改善活動ができるわけで。ただ、人材の「標準化」で止まってしまって、それ以上の伸びはなく、創業者以上の人材は現れないとしたら問題だと思うのです。創業者がずっと能力を維持しつつ、永遠に生きるなら別ですが。

中井:ブラック企業の構造はそうなっているのですか。組織経営の観点で言えば、僕らは「パラエストラ」というジムをネットワーク展開していますが、パラエストラは厳密には「フランチャイズ」ではないのです。「こうやりなさい、こうしなさい」というマニュアルはほぼ作らずに、「あなたのやり方で、格闘技を伝えてください」という方針をとっています。「中井のやり方」を伝えるのではないので、ジムごとにカリキュラムはまったく違います。つまり牛丼チェーンではないのです(笑)。「味」は場所ごとでまったく違うのです。パラエストラと違って、ファンダメンタルプログラムのようなものを作り、「どこでも同じ指導が受けられること」を売りにしている団体もあります。そういうシステム、指導方法は尊敬するけれど、僕には「できない」、そして「したくもない」。なぜなら指導要領に従った指導は、「その人のやり方」ではないので伝わらないと思うからです。
常見:指導者自身の体得したやり方でなければ、教わっている人も、「その人に教わっている」という感覚が得にくいということでしょうか。「ロボットに教わっている」というのは言い過ぎかもしれませんが、あるプログラムに沿って教わるなら、YouTubeで十分という時代です。昔の通信教育の空手みたいに(笑)。

(つづく)

中井祐樹:1970年北海道生まれ。高校時代にレスリング、北海道大学では高専柔道の流れを汲む七帝柔道を学ぶ。同大中退後、上京しシューティング(修斗)に入門。修斗ウェルター級王者となる。1995年バーリトゥードジャパンオープンでは決勝に進み、ヒクソン・グレイシーに挑んだ。右目失明により修斗を引退し、ブラジリアン柔術に転向。ブラジル選手権アダルト黒帯フェザー級銅メダルなど、アメリカ、ブラジルで実績を残す。日本におけるブラジリアン柔術の先駆者であり、現在、日本ブラジリアン柔術連盟会長、パラエストラ東京代表。