韓半島の状況が切迫している為、米国は日韓の不仲を大変懸念しており、日韓両政府の中にも打開策を模索する動きがあることは承知している。しかし、私は、もはやその時期は逸したと考えるに至っており、日韓関係は今後4~5年は現在のような冷ややかな関係でやむを得ないと思っている。我々はかつて宮沢-河野ラインが犯した過ちを繰り返してはならない。相手の立場は常に慮らなければならないが、それ故に筋を曲げるというのは良くない。
日韓間に蟠(わだかま)っている最大の刺は従軍慰安婦問題だ。元々は吉田清治という済州島に住んでいた「とんでもない日本人」が自らの売名のために創作した「作り話」が事の始まりなのだが、これをベースに次々と問題を拡散していった数々の日本人がいる。朝日新聞の記者だった松井やより氏や植村隆氏、福島瑞穂氏や高木健一氏といった所謂「人権派弁護士」の問題だらけの言動については私も知っていたが、「性奴隷」という呼称を国連に売り込み、クラマスワミ報告書に大きな影響を与えた戸塚悦朗という弁護士の存在については、私はこれまで迂闊にして知らなかった。彼等の言動を一纏めにして読んでいくと、あまりの酷さに今はもう頭がクラクラする位だ。
何ともはや、これでは「いい加減にデタラメ話を世界中に振りまくのはやめてくれ」と韓国人の知人にクレームすることも憚(はばか)られる。「何を言っているの、その事にかけては日本人のほうがはるかに熱心で、このような日本人がいなかったら、現在のような状況にはとてもなっていなかったと思うよ」と言われれば一言もないからだ。多くの日本人は、あの手この手でしつこく日本人の悪口を言いふらす韓国人を「異常だと考えるに至っているが、過去の経緯が分かれば分かるほど、「異常なのはむしろ日本人のほうではないか」という気さえしてくる。
私は「世界中での韓国人グループの行動に対して、その地に住んでいる日本人が名誉毀損で訴訟を起こしたらどうか」という事を言ってきたし、今もそう思っているが、そうなると、その前に、これらの日本人を日本で片っ端から告訴しなければならなくなってしまう。まあ、訴訟には若干無理があるとしても、ここまで来たら、もう徹底的に事を大きくする事ぐらいは必要だろう。そして、その事を通じて、何故日本が「国としては真実に拘らざるをえない(従って国としての謝罪は出来ない)」と考えているかを諸外国に知ってもらう必要がある。
さて、話が横道にそれたが、そうは言っても、この事は、日本人の「嫌韓」をもはや後戻り出来ないところまで進めてしまった。仮に慰安婦問題がなくても、李明博大統領時代の末期に中間派を取り込もうと焦った同大統領が露骨に反日的な言動をエスカレートした辺りから、日韓関係は最早修復困難になっていたと考えても良いだろう。それなら日韓両政府は、「反日と嫌韓でほぼ固まってしまったそれぞれの国民意識に対する配慮」を、今後少なくとも4~5年程度の日韓両国の関係のベースとするしかないだろう。
つまり、無理をして関係の修復を試みれば、また「真実の追求」に蓋をしてしまって、より大きな問題を将来に残す事になるから、そんな努力はしないほうがよいという事だ。具体的には、韓国の外相が「慰安婦問題への国としての謝罪が関係改善の前提だ」と言っているのなら、日本の外相は「日本は事実でない事に対して謝罪をするのは良くないと考えるので、もしもそれが前提なら、関係改善は諦めざるをえない」と答えるしかないだろう。
ちなみに、私は長い間、クラマスワミ報告にまともな反論をしなかったのは日本の外務省の重大な怠慢だと思っていたが、最近その理解は間違っていたことを知った。実は42ページにも及ぶ反論書が提出されることになっていたのだが、時の政府がこれを差し止めたのというのが事実らしい。つまり、官僚はやるべきことをやろうとしていたが、「事を荒立てるよりは静かにしていたほうが良い」という間違った判断を政治家がしてしまったという事のようだ。もうこのような間違いは繰り返す訳にはいかない。
そんなことを考えていた時に、アゴラで山田高明さんの「嫌韓の時代は終わった」という記事を読んだ。晋遊舎という出版社が出した「誅韓論」という本について語っておられるのだが、結論から言うと、私はこの筆者が前提としている三つの事柄、
- 韓国は日本にとって「大陸からの脅威の防波堤」にはならない。
- 日本と韓国とは価値観を共有してはいない。
- 韓国は日本にとって欠くことのできない市場ではない。
については、現状認識としてはほぼ同意するが、筆者の結論には全面的に反対だ。
反対の理由は簡単で、好き嫌いは自由だし、場合によれば「仮想敵ともなりうると考えて、その備えもしておくべきという事にも異論はないが、「こちらから攻撃的な姿勢を取る事は、最後まであってはならない」と考えるからだ。隣国同士が争えば、両国の国民には必ず不利益をもたらす。従って、為政者も国民も常にその可能性を抑えこむように努力すべきが当然だ。これが出来ないようなら、子供でしかない。
「誅韓論」の筆者も言う通り、これまで韓国の保守派と日本の政権党は「共同で北からの脅威に備える」という点で利害の一致があると考えきた節がある。これに対し、北に同情的な両国の左派は根本的にこれとは反対の立場だったので、慰安婦問題などでも共闘したのだろう。しかし、現状では、北の現政権を見切った中国が韓国の取り込みを計り、韓国の政権党もこれに魅力を感じているようなのだから、もはやこの図式は崩れたと見るのが妥当だろう。
韓国人にもし先を見通す目があり、「地続きの中国という大国」に飲み込まれるのを強く警戒する気持ちがあるなら、海洋国家である日本との緊密な関係を結んでバランスを取ろうとするのが、地政学上は「至極当然の戦略」だ。しかし、多くの韓国人は、不本意だった自らの過去がなかなか割り切れず、何とかして辻褄を合わせたいという気持ちにいつまでも拘泥しているかのようだ。これでは、「戦略なんかは二の次三の次」になってしまうのだろう。気の毒だが、致し方のない事だ。
逆に日本はどうか? 対馬海峡を隔てた隣国が「今の韓国」であっても、あるいは「今の中国のような国」であっても、大同小異と考えるべきだろう。それよりも、北朝鮮の暴発がもたらす様々なリスクを少しでも回避できるなら、そのほうがはるかに自国民の利益になる。巻き込まれて良いことは何もない。従って、中国と北朝鮮と韓国がこれから織りなす様々な葛藤については、日本は極力関与せず、部外者の立場に徹したほうが良い。
中国大陸のことは中国大陸に住む人たちに、韓半島のことは韓半島に住む人たちに任せるのが正しい。かつての日本は、韓半島の支配を自国の対露戦略の生命線と考え、そこに住む人たちの主権などについては一顧だにしなかった。満州には傀儡政権を作り、中国に対しては、武力による威嚇を背景に身勝手な21カ条の要求を突きつけて、恥じることもなかった。しかし、事は思い通りには運ばず、日本は多くの人命と財産の犠牲を払った上に、連合国に対する無条件降伏を受け入れる結果となった。
その後、既に長い時が経ち、幸いにして日本は完全な独立国としての地位を取り戻し、経済復興のお陰で一連の戦後処理(過去の過ちに対する代償の支払い)も行う事ができた。近隣諸国との間で解釈が曖昧になっていた問題も「村山談話」で決着がついた。こうして、他国はどうであれ、現在の日本は「完全に未来志向に徹することの出来る国」になっている。日本が今やるべきことは、真実を追求し、公正な判断を行い、何事によらず誠意を持って事に処し、自ら誇りに出来るような言動に徹する事であり、それ以外の何ものでもない。
「日韓問題をあれこれ考えるのはもうやめよう。勿論、これ以上の賠償金を払う事を考える必要等は全くない(それによって仕掛人の日本人弁護士を儲けさせる必要は更にない)。それよりは「日日問題」を考えよう。亡くなってしまった吉田清治氏や松井やより氏(この人たちの創作が一番酷かったが)とはもう話はできないが、福島瑞穂氏や高木健一氏や植村隆氏や戸塚悦朗氏とはまだ話ができる。白日の下で徹底的に議論するべきだ。