『昭和天皇実録』の即時公刊は「法の支配」に反する暴挙だ --- 中川 八洋

アゴラ

先帝陛下の昭和天皇の御生誕(1901年)から崩御(1989年)までの事蹟を記録した『昭和天皇実録』が約24年間の作業を経て完成したことは、日本国民はこぞって心からの御慶祝を申し上げているものと思う。しかし、驚くべきことに、『昭和天皇実録』は直ちに公刊されるという。

天皇を奉戴することをもって国体とする我が国において、天皇実録の即時の公刊は、決してあってはならない。

日本国の一大事であるこの問題を論じる前に、誰しも知っているであろうから不必要だとおもうが、念のため「天皇実録」とは何かを簡単に触れておく。一般的には、個々の皇帝や天皇の事蹟にかかわる文書や記録を蒐集編纂したものを“実録”という。実録に基づき、国の“正史”が編纂される。


これら正史や実録のうち、飛鳥時代から平安時代にかけて編纂された正史や実録を総体的に“六国史 りっこくし”という。具体的には、『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』を“六国史”と称している。

『日本三代実録』は、第56代の清和天皇、第57代の陽成天皇、第58代の光孝天皇の事蹟を合体したもの。1代ごとに編纂されたものは、第54代の仁明天皇の『続日本後紀』と第55代の文徳天皇の『日本文徳天皇実録』のふたつだけ。この『続日本後紀=仁明天皇実録』に準じて、明治時代以降に編纂されたのが、『孝明天皇紀』『明治天皇紀』『大正天皇実録』である。

さて、今般の大問題の発端は、『大正天皇実録』の公開という“法の支配”に反した、2001年の朝日新聞と情報公開・個人情報保護審査会の蛮行に始まる。天皇実録を公開するか否かは、“皇室の専管”であって、行政は介入することはできない。このような介入は、“法の支配”に違背する重大な違“法”行為である。ここで謂う法とは、“法 Laws”のことで、法律(statute、legislation)ではない。法と法律は厳に峻別される。法律は“法”の下位にあって、“法”に従って立法されねばならない。

つまり、「行政は法律に従わねばならない」との法治主義は、“法の支配”とは別次元のもので、似てもおらず全く相違する。

現存する日本人で、法と法律とを区別できるのは、コーク法学を継承するハイエク法哲学の日本唯一の学徒である私ひとりになった。戦後日本で“法の支配”を理解していたのは、私を除けば伊藤正己(東大教授→最高裁判所判事)だけであった。私や伊藤正己は、コーク卿の『英国法提要』『判例集』の研究者。『英国法提要』『判例集』を読まずして“法の支配”を体得することは万が一にもできない。

コーク卿によって確立した“法の支配”は、日本のすべての憲法学も、いかなる立法もいかなる行政も遵守すべきである。行政・立法・司法機関が絶対視すべき一大原理たる“法の支配”とは、簡単に言えば、(13世紀の)ブラクトンの法諺「国王(=立法/行政/司法)は、国民の下にはないが、法と神に従わなければならない」を遵守すること、これに尽きる。

コーク卿は、「法は神を支配し、神は国王を支配するのであり、【法>神>(立法の長/司法の長/行政の長である)国王】だから、国王はこの順序に従っていただきたい」と、ブラクトンの法諺をもって国王ジェームス1世に対して諫言をなした。このコークの言葉よりも、“法の支配”を端的に説明するものはない。なお、コーク卿のこのような諫言は続き、ついにジェームス国王の逆鱗に触れ、コークは、6ヶ月間(1621年)、不敬罪でロンドン塔(貴族専用刑務所)幽閉の刑に服している。

さて、話を2001年、朝日新聞がなした、法破壊の大暴走に戻す。朝日新聞は天皇制廃止を目的として共産党と組み、非公開が永く守られていた『大正天皇実録』を手にしようとした。朝日新聞・共産党連合軍は、宮内庁の公開拒絶方針に対して行政不服審査法に基づき、開示せよとの不服申し立てを行った。

宮内庁長官は、この不適法な請求を却下できるのに、情報公開法第18条に基づき、情報公開・個人情報保護審査会に判断を求めるべく、送付した。情報公開・個人情報保護審査会の決定は、「『大正天皇実録』を公開せよ」であった。

この結果、宮内庁は、『大正天皇実録』を多くを黒塗りにして、2002年から2011年まで4回にわけて朝日新聞(共産党)に手渡した。今や宮内庁は、共産党とグルとなって、天皇制度廃止に驀進している。

朝日新聞は、何かあるとすぐ「国民の知る権利だ」と開き直る。ならば、2001年の『大正天皇実録』開示請求のいきさつをすべて公開したらどうだ。

第1に、このときの宮内庁長官は、鎌倉節(警察官僚)なのか、湯浅利夫(自治官僚)なのか。2001年4月2日に、両名は交替している。

第2に、この事案を審査した、情報公開・個人情報保護審査会からの3名の委員の名前。第3に、その審査内容。

第4に、この公開された『大正天皇実録』の部分を朝日新聞はどう国民に知らせたのか。ただ共産党に手渡しただけというのが専らの噂だが、真相はそうなのか。

朝日新聞は、秘密警察的な秘密主義の新聞社。また、嘘ばかりの新聞であることでは北朝鮮の朝鮮労働新聞を凌ぐ。たとえば、大東亜戦争をあれほど煽動した、朝日新聞の過激と過剰は、他紙では足下に及ばない。朝日新聞は、かつて一度として、この理由を開示し、また国民に謝罪した事はあるのか。

『明治天皇紀』が公開されたのは、明治天皇崩御(1912年)から56年が経過した1968年であった。『大正天皇実録』が公開されたのは、大正天皇崩御(1926年)から76年後の2002年であった。昭和天皇実録の公開も、昭和天皇崩御の1989年から70年を経た2059年であるべきは、当然の法理ではないか。

理由は自明だからあえて述べるまでもないことだが、第1に、皇室にかかわる事柄はすべて慣習を踏襲することが絶対だからである。よって、「明治天皇紀の56年」「大正天皇実録の76年」は踏襲されねばならない。この平均値は66年。四捨五入すれば70年である。

第2に、なぜ慣習墨守が絶対基準であるかは、皇室とは伝統と慣習において御存在されているもの。慣習と伝統を生命源とされる皇室を奉戴する、われら日本国民は、慣習と伝統の墨守に命をかける義務を、日本人として生まれた運命において課せられている。日本国民がこぞってこの義務を果すとき、日本国は高貴と安泰と繁栄とを永遠化できる。

第3に、皇室にかかわる事柄は、行政ではない。行政を超越している。行政から超然としている。よって、皇室にかかわる事柄は、情報公開法や行政不服審査法という法律の及ばぬところである。もっと直截的に言えば、皇室の伝統と慣習は“法”である。上位の“法”に支配されている下位の法律は、“法”にただ従うのみ。

すなわち、天皇実録を公開すべきか否かに、情報公開法や行政不服審査法は関与できない。そのようなこと自体、“法の支配”に違背するし、“法の支配”という文明社会の一大原理を破壊する野蛮行為の極み。もう一度いう。天皇実録の公開を定めているのは、皇室の伝統・慣習という、神よりも国会よりも上位にある“法”である。

宮内庁長官の風岡典之は、鎌倉節/湯浅利夫/羽毛田信吾の悪弊を断ち切り、ひたすら皇室の伝統・慣習という“法”を遵守することに、全身全霊を傾けよ。すなわち、『昭和天皇実録』は2059年まで非公開とすることに、風岡は命を捨てる覚悟をせよ。同様に、安倍晋三よ、保守主義に目覚めて、風岡長官に「『昭和天皇実録』の公開を直ちに中止せよ」の命令を下達されたい。

中川 八洋
筑波大学名誉教授、国際政治学者。中川八洋ゼミ講義