日本は「酷税」制度を根本から見直すべき時期にきている --- 岡本 裕明

アゴラ

最近相続税の話題があちらこちらから聞こえてきます。メディアでも何かにつけて取り上げることが多いのは来年度からの控除額の見直しによる新たなる相続税対象者の増加によるものでしょう。ただ、マスコミの大半の注目点は不動産に充てられていますが、今日は企業のオーナーのポジションについて考えてみたいと思います。

私が知るある元経営者。ファミリー企業で上場会社の某社に自分の家族から役員が派遣できないことになり、所有していた株式を売却、経営から手を引きました。手にした○○億円の資金をどうするか、悩んでいます。それはどうやっても子や孫に十分な節税をしながら引き継ぐことができないのです。


彼は今、一生懸命お金を使っています。しかし、こんなもの使い切れるものではありません。贈与の枠も増えますが、彼の場合、桁が違います。あと何年元気でいられるかわからないので使えるうちに好き勝手に使うことを考えていますが、残るであろう大半はやはり、課税対象となりそうです。

今、日本にはたんまり稼いだ元経営者、あるいは現役の経営者は相当います。そういう人は目立たないだけで実は案外皆さんのそばにもいたりするものです。ところがどれだけ稼いでも家族に引き継ぐハードルが高くなればなるほど経営者のやる気はそがれるものです。

自分は何のために働いているのだろう、と思った時、自分が働いた分は「自分へのご褒美」として消費することができます。しかし、子供や家族の将来については一定以上は非常に厳しい課税という制約が待ち構えているとすれば「ちょっと待てよ」ということになってしまうのです。

バンクーバーの私の知り合いのユダヤ系カナダ人富豪。ファミリー企業で資産は信託財産となっています。つまり、彼は一定の富を得られるが、次の世代に富を増やしてバトンタッチすることを半ば義務付けられています。ですから事業がうまくいかなければ彼は裕福なファミリーであっても十分な富を得ることができません。

あるいはもう一人の友人も巨万の富を持つ家系ですが、ワイン好きなイタリア人の奥さんを持つ家ながら20ドル以下のワインを一日1本までと決めています。それは贅沢には限度がないというルールをつくり、「贅沢の膨張」を抑えているとも言えます。

これら北米の富裕層とは次につながるファミリーツリーを作ることに意味を持たせています。これは何を意味するかといえば子供を増やし、よりファミリービジネスを大きくし、家計の厚みを増すことで将来何かあった時にも対応できるのです。

北米と日本の圧倒的違いとはこのことではないでしょうか?

日本は今や三歩歩けば税金と言ってもよいほど税金だらけの国です。私は法人を通じて日本で不動産を購入しましたが不動産取得税があるのをすっかり放念していました。不動産の仕事を何十年とやってきて感じたのは買ったときに税金を払わせる国はそうそうないということです。そういえば日本には自動車取得税もあるし、印紙という訳の分からないものもあります。

日本は基本的に富裕者を作らない税制になっています。その上、広く薄く召し上げるという年貢の考え方もベースにあります。ぜいたく税的な発想もあるでしょう。それは逆に言うと国が人々の力を発揮させていないとも言えます。少子化問題において究極的な問題とはお金がなくて2人も3人も育児ができないということではなかったでしょうか?

そこまで落とし込んで考えれば日本の国税は「酷税」そのものとも言えます。日本の成長そのものを阻むといってもよい気がします。日本がここまで成熟したのなら税という発想も根本から何年かかけて見直した方がよいでしょう。そして、その際に税の専門家が考えるのではなく、各方面のプロフェッショナルが考える50年後の日本を考える税を作り上げてもらいたいと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年9月17日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。