スコットランド人は踊らず --- 長谷川 良

アゴラ

英北部スコットランドの独立を問う住民投票が9月18日実施され、即日開票された。英BBC放送によると、独立反対派が過半数を制し、スコットランドの英国からの分離・独立は否決された。300年以上、イングランドの支配下にあったスコットランド人の独立の夢は実現されなかった。

スコットランドが独立した場合、スペインのバスク州、カタルーニャ州、イタリアの南チロル州など欧州の少数民族の独立運動が鼓舞され、欧州の政情を不安定にするのではないか、といった懸念の声も聞かれた。それだけに、その結果が注視されていた。独立反対派が予想外の大差で勝利したことから、欧州の少数民族の独立運動は鎮静化するものと受け取られている。


ところで、スコットランドの独立を問う住民投票が実施された18日は、フランス革命とナポレオン戦争後の欧州の政治体制を再構築したウィーン会議が始まった日だ(1814年9月18日)。ウィーン会議開催200年目に当たる同日、スコットランドの独立を問う住民投票が行われたというわけだ。

ウィーン会議の進行は遅滞し、英国、ロシア、オーストリア、プロイセンの大国4か国の利害が激しく対立(議長オーストリアのメッテルニヒ)した。その一方、政治家たちは夜な夜なダンスに興じていたことから、後世の人々から「会議は踊る、されど会議は進まず」と揶揄され、映画化されたほどだ。ウィーン会議は最後まで全体会合は開催されず、翌年6月9日、ウィーン体制と呼ばれる国際秩序を明記した最終議定書が採択され、幕を閉じた。

ウィーン会議は革命前の状況復帰(正統主義)と大国の既成権限の定着化を狙ったものだ。あれから2世紀が経過したが、その時に決定された国境線が今も継続されている地域がある一方、第1次、第2次の世界大戦後は紛争回避が最優先され、少数民族の独立問題は該当民族の意思が重要視されるようになっていった。そして冷戦後、新しい国家が次々と誕生していったことは周知のことだ。

ウィーン会議開催200年が経過した欧州では現在、欧州連合(EU)主導の統合が促進されている。いずれにしても、スコットランド人は今回、パブで飲みすぎることもなく、分離・独立のプラスとマイナスを冷静に判断して決定したのだろう。スコットランド人は踊らなかったのだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年9月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。