一部の興味ある人を除き、9月20日、21日の週末にG20財務相・中央銀行総裁会議がオーストラリアで開催されていたことを知る人は少ないでしょう。一昔前ならばもう少し注目された気がします。特に先週の激しく動いた円相場について何らかの指摘が出るのではないか、と期待した向きもあったと思いますが、ほとんど素通りとなっています。
それ以上に不満だったのがアメリカのルー財務長官が「ユーロ圏と日本の成長は期待外れだ」と述べたことでしょう。自国の金融の量的緩和離脱がほぼ確定したという立場で「お前らもちゃんとついてこいよ」という高飛車な発言に聞こえるのは私だけでしょうか?
日欧が引き続き金融の量的緩和を推し進めなくてはいけない状況の中でアメリカだけが「お先に!」といえばドルが他の主要通貨に対して独歩高になり、アメリカの輸出が厳しくなるから「お前らも頑張れよ」というのであれば可愛げあります。ところがルー長官は会議前の講演で「強いドルはいいことだ」と、最近のドル高を容認する姿勢を示していた(日経)というのです。
つまり、G20の協調の枠組みをアメリカが壊しているようにも聞こえるのです。
それに対してラガルドIMF専務理事が「それぞれの国、地域に特殊性があり、処方箋も異なる」と返したのが今回のG20のバラバラ劇のすべてであった気がします。
G7やG8がG20に格上げされたのが1999年。理由はアジア通貨危機を受けて国際資本市場に影響を与える、なるべく多くの国が会議に参加すべきだという発想から99年のケルンサミットで決まったものです。しかし、その後、リーマン・ショック、欧州危機が起きた中でG20の役割とは何であったのでしょうか? 財務大臣や中央銀行総裁の年に一度の集まり、というお祭り的スタンスにも見えてきます。
G20ができた時、それぞれの立場がまるで違う国々が一つの協調した政策を作り上げられるのか、と疑問符はついていました。つまり、当初からの創設効果への疑義です。同じことは国連にも言えるでしょう。大所高所的な方向性はある程度まで行き着けど個別になると常任理事国の反対で終わるのです。総論賛成各論反対の典型であります。
G7はなぜ機能していたか、といえば先進国としての強い指導的立場があったからであります。発展途上にある国々に対して自らの経験も踏まえ、教育的指導を取れることにあったのではないでしょうか?
ところでルー長官にコケにされた日本の経済政策でありますが、時を同じくして22日の日経朝刊の「核心」に「金も人も英国の吸引力」というイギリス在住の欧州編集委員の記事があります。これはなかなか読みごたえがあり、編集委員記事として気張った内容になっています。直接投資受入れが先進国ダントツ最低水準の日本に対してイギリスはGDPの5割を超すその差に注目し、ウィンブルドン現象を例えに使い、よくまとめ上げています。そして締めの一言は「日本は移民政策をもたない。採用するか否かは国家百年の選択になる。直接投資を倍増させるには、金のことだけを考えていても確たる結果は残せまい。それは、はっきりしている。」としています。
変れる国、変れない国という見方をすれば日本はロンドンの様に外国人に占拠され、製造業が壊滅状態のイギリスのようにはなれないのであります。アメリカの様に自己破産に企業倒産がごく普通に起き、ごく普通に再生する能力を日本は備えていません。一昔前、日本の戸籍謄本に離婚をした人には大きなバッテンがついていたのです(いわゆるバツイチの原点)。離婚のように一度の失敗を一生背負わねばならない仕組みがごく普通に存在する国とトカゲのしっぽのようにすぐに復活できる文化とは一緒くたに出来ないのであります。
そういう背景を考えればG20の存在とはトップが年に一度集まるコミュニケーションの場以上の期待は出来そうにもありません。G20の存在意義とはそういう事なのだろうと思います。多分あと何十年も経ち、世界のどこかで枠組みが壊れない限りG20を大きく進歩的改革させるという動きにはならないでしょう。
このG20、日本では一度も開催されていないのでそのうち、お祭りのホストもするのでしょうね。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年9月22日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。