出版されたと聞いた時から「読んでみたいものだ」と考えていた本、「父・金正日と私 金正男独占告白」五味洋治著(文藝春秋社)が、目の手術を受けた当方へのお見舞いの意味も込めてか東京から郵送されてきた。ただし、目が疲れるので、数ページ読む度に目を閉じ、目を休めてからまた読みだすといったペースだったので、読み終わるまで少々時間がかかった。
それにしても著者・五味氏は恵まれたジャーナリストだと思う。金正男氏と直接会い、独占会見したというから、うらやましい。当方はウィーンの一介のジャーナリストに過ぎないが、マーティン・ルーサー・キング牧師のように、夢があった。北朝鮮高官と一度会見したいという夢だ。だから、駐オーストリアの北朝鮮大使館を通じて白南淳外相(当時)にインタビューを申し込んだことがあった。北の政治家とのインタビューの難しさを知らなかった時代だから、いつ返答が来るか、とワクワクしながら北大使館に何度も「返事は来たか」と尋ねたものだ。
数週間しても返答がないので、北大使館の知人に問い合わせると、「君のビザ申請は却下されたよ」という。「なぜ」と聞くと、知人は笑いながら「君、インタビューできると本当に考えていたのか。無理だよ。君の名前は好ましくない外国人ジャーナリストに載っているから、平壌は絶対に君のインタビューに応じないだろう」というのだ。
それ以来、当方は平壌の中央政界から追われた金ファミリー関係者と接触することに専心しだした。駐オーストリアの金光燮大使は金正恩第1書記の義理の叔父だ。同大使とは数回、会見できたが、五味氏がマカオで正男氏とお茶を飲みながらゆっくりと会見したといった贅沢な会見ではなく、立ちながら次々と質問したといった類だ。唯一、例外は最高人民会常任委員会の金永南委員長の息子、金東浩氏とウィーンの国連内レストランで昼食をしたことがあるが、会見内容は余りインパクトがなかったことを思い出す。
そういうことがあったので、「将来、正男氏と会って話してみたい」と密かに考えていた。その当方の夢を欧州にいる北の外交官に伝えていた。正男氏がパリを訪問したと聞く度、知り合いの北外交官に「正男氏はウィーンを訪問する予定がないのか。あったら、インタビューの可能性を打診してほしい」としつこく頼んだ。しかし、その夢は今日まで果たせずに終わっている。
しかし、チャンスはあった。正男氏は2004年、ウィーンを訪問したのだ。当時、「正男氏暗殺計画」ということでメディアにも大きく報じられた時だ。
「後継者問題に絡んで反正男グループが正男氏をウィーンで殺害しようとしたが、その情報をキャッチしたオーストリア内務省は直ぐに駐オーストリアの北朝鮮大使に連絡し、暗殺計画の中止を要請。そのため、正男氏暗殺計画は阻止された」(「2つの『正男氏暗殺計画』」2009年6月17日参考)。
当方はこの時も正男氏がウィーンを去った後、オーストリア内務省の知人から正男氏のウィーン滞在に関する情報を入手した。知人は事前に正男氏の訪問を教えてくれなかったが、正男氏のパリからウィーン、滞在ホテルから、ウィーンで会った人物などの情報については詳細に教えてくれた。結論は「正男氏暗殺計画」は存在しなかったというものだった。
五味氏はその著書の中で「暗殺計画は事実と把握している」(49頁)と日本外務省北朝鮮担当官のコメントを書いておられる。五味氏はなぜ、正男氏にウィーンでの暗殺計画について直接聞かれなかったのだろうか。「暗殺計画」の有無について日本外務省北担当官のコメントを紹介するだけ終わっているのだ。
当方のオーストリア内務省の知人は「正男氏はウィーンでは観光をエンジョイしていたよ」と証言し、メディアの暗殺計画報道について一蹴しているのだ。
五味氏が当方の疑問に応えて下されば幸いだ。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年10月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。