ウィーンは“スルメ"になれない --- 長谷川 良

アゴラ

産経新聞ソウル駐在特別記者兼論説委員の黒田勝弘氏はその新著「韓国 反日感情の正体」(角川ONEテーマ21)の中で、「自分は韓国問題に関与して40年あまりになる。韓国は自分にとってスルメのようなものだ。噛めば噛むほど味が出てくる」と書いておられる。


40年間、韓国社会を見つめてこられた著者の言葉は重みがある。慰安婦問題、竹島問題、日本海呼称問題など多くの難問を抱えている日韓両国の国民は、同氏の視点から学ぶことが多いだろう。

黒田氏は40年間、韓国ウオッチャーとして歩んでこられた。その結論が「韓国は噛めば噛むほど味が出るスルメだ」という結論だ。34年間、ウィーンを拠点として取材活動をしてきた当方にとって、「ウィーンはスルメだ。噛めば噛むほど味がある」と言い切れるだろうか、と考えさせられた。

結論から言えば、当方には「ウィーンはスルメだ」とは思えないのだ。極端にいえば、当方が50年間、ウィーンに留まったとしても「スルメ」を噛むように味わうことができないだろう。これは決してお世話になっているウィーンへの批判ではない。

当方はあと何年間、ウィーンに留まったとしても異国人、異邦人であり続けると思うのだ。まず、外見上、当方はれっきとして外国人だ。国籍を修得したとしても、外見上は永遠に外国人だろう。その点、日韓両国民の間には国民性の違いがあったとしても外見的にはほぼ同民族のように受け取られる黒田さんの立場とは違う。ソウル到着初日から黒田さんは韓国人とみられたかもしれない。黒田さんの場合、外見だけではない。言葉も達者だから韓国人とほぼ同じだろう。一方、当方は最初から外国人であり、国籍や言語とは別問題だ。

例えば、当方がオーストリアで仕事を探そうとする。会社に職歴を書いた書類を郵送する。当方の名前を見て、この人は外国人だ、と直ぐに分かるから、オーストリア人を優先的に雇用する会社は当然、最初に当方を落とす。当方は面接までいかず、落とされ続けるわけだ。外見が外国人であり、名前がドイツ語名でないからだ。

いつも自分は外国人だと感じながら40年間、そこで生活するのと、外見上は韓国人と変わらない日本人が韓国で生活するのとはやはり違いがある。だから、というわけではないが、黒田さんは日韓両国民の違いにより関心がいくのだろう。逆に、当方は共通点を模索するようになる。外見は違うが人間としてオーストリア人と日本人の共通点を探す努力をしだす。

もちろん、相違点を理解するためには共通点の認識が必要であり、共通点を理解するためには相違点に対する客観的な理解が不可欠だ。黒田さんの韓国国民への温かい視点はその両面への認識が可能であることを実証している。

参考までに、ジャーナリストにとってウィーンとソウルの駐在都市の決定的違いは何かを説明する。ソウルはホットなニュースを常に発信する仕事場だが、ウィーンの場合、冷戦時代は旧東欧取材から帰国して一休みする中継点に過ぎなかったことだ。オーストリア政界や社会の動きはほとんど記事にならない。冷戦後もその事情には変化はない。ウィーン自体はニュースを発信しないが、ジャーナリストに宿泊の地を提供し、時には慰労の地であり続けてきたのだ。だから、ウィーン駐在特派員にとって、対立と軋轢を生みだす相違点探しは必要なく、共通点を見つけてアンゲネームな生活を重視するようになるのだ。

当方にも、ウィーンは噛めば噛むほど味が出るスルメ、といえる日が到来するだろうか。いずれにしても、黒田さんの「韓国はスルメだ」という言葉は、黒田さんの隣国への愛の勝利宣言ともいえるだろう。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年10月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。