歴史学研究会の声明が、ちょっと話題になっている。これは吉見義明氏もメンバーになっている唯物史観の学会なので、その主張は彼と同じく「広義の強制」という曖昧な話で日本政府を断罪するナンセンスだが、科学運動というページがおもしろい。
- 政府首脳と一部マスメディアによる日本軍「慰安婦」問題についての不当な見解を批判する
- 憲法解釈の変更による集団的自衛権の容認に反対する
- 特定秘密保護法案に対する反対声明
- 大阪府議会における、「日の丸」常時掲揚・「君が代」斉唱時起立条例の強行可決に抗議する
・・・といった調子で、まるで朝日新聞の見出しだ。2012年の学会のテーマは「変革の扉を押し開くために―新自由主義への対抗構想と運動主体の形成―」で、報告には「新自由主義政治転換の構想と主体形成」とか「アラブ革命の構想力―グローバル化と社会運動―」などという一昔前の労働組合のようなスローガンが並ぶ。機関誌『歴史学研究』の版元は、共産党御用達の青木書店である。
歴史学は、まだしぶとくマルクス主義の生き残っている分野である。戦前には「皇国史観」の片棒をかついだトラウマがあり、戦後は唯物史観という「科学的理論」で多くの業績があがった時期もあった。これは私の学生のころの経済学部と似たような状況で、唯物史観はマル経みたいなものだ。
経済学は宇沢先生の世代に業績主義になり、理科系をまねて国際ジャーナルの論文数で業績評価をするようになったのでマル経は全滅したが、他の社会科学では徒弟制度が強いので、なかなか左翼が淘汰されない。社会学ではいまだに上野千鶴子氏のような「マルクス主義フェミニズム」が残り、政治学には山口二郎氏のような絶対平和主義がいる。
若い世代にはマルクス主義の影響はほとんどないが、東大(特に駒場)には左翼の影響が強いので、保守的な発言をするといいポストにつけない。もちろん今どきドグマティックな唯物史観で論文を書く歴史学者はいないだろうが、彼らは「新自由主義」や「グローバリズム」を敵視し、分配の平等を求める。そういう潜在意識の中のマルクス主義は、いまだに根強い。
しかしマルクスはグローバル化を「資本の文明化作用」として賞賛し、分配の平等を否定する新自由主義者だった。戦後の左翼が継承してきたのはマルクスとは無関係な、レーニンやスターリンのボルシェヴィズムであり、これはツァーリズムの鬼子である。それが同じく専制支配の中国で成功し、日本で失敗したのは偶然ではない。
日本ではマルクス主義は挫折したがゆえに、朝日のようなジャーナリズムや歴研のようなアカデミズムに、亡霊のように生き残ってきた。彼らは集団的自衛権や秘密保護法などというアジェンダ自体が無意味だということに気づかない。この亡霊を追い払うには、戦後の社会科学を洗い直し、(意識的・無意識的な)マルクス主義の影響を清算する必要がある。