「明治型」財政システムの終わり

池田 信夫

クルーグマンが「日本に謝罪した」とかいうニュースが出回っているが、これはいつもの皮肉だ。今まではFRBのQEが不十分だという批判だったが、今回はECBのバラマキ財政が不十分だといういやみである。サックスも指摘するように、これはナンセンスである。日本はすでにGDPの2倍の財政支出をしており、バラマキ財政が役に立たない見本なのだ。

本質的な問題はマクロ政策ではなく、EUのシステムにある。竹森俊平氏も指摘するように、財政には次の3条件のうち同時に2つしか満たすことができないトリレンマがある。

  1. 自由な人口移動

  2. 共通通貨
  3. 財政政策の独立性

ユーロではすべてを満たせるように見えたが、これはECBが政策金利を決めて実質的にドイツが南欧を支援し、1の人口移動を抑制するしくみだった。この制度は各国の金利が同じような水準にあったときは機能したが、世界金融危機のあと各国の金利差が大きく開くと、大混乱になった。

その原因は、金融政策がヨーロッパ全体で統合されたのに、財政政策が各国ごとにバラバラになっていることだから、解決策は理論的には3つしかない。1を捨てて各国が主権国家に戻るか、2を捨ててユーロをやめるか、3を捨てて財政政策を全ヨーロッパで統合するかである。

ピケティは3を捨て、予算編成に特化した「予算議会」をユーロ加盟国が参加してつくってユーロ圏の財政をコントロールすべきだと主張している。2を拒否したのはイギリスで、これは結果的には賢明な選択だった。

もう一つの選択肢は、1を捨てることだ。つまりユーロ(固定為替制度)を残したまま、各国が貿易や人口移動を規制する主権国家に戻るのだ。これが戦後のプレトン=ウッズ体制である。つまりEUのような中途半端な国家統合は無理で、アメリカのように連邦政府が国家主権をもつか、昔のようにバラバラになるかしかないのだ。

同じようなジレンマは日本にもある。江戸時代の平和の最大の原因は、上のトリレンマの1を捨て、各藩が人口移動を禁止したことだった。おかげで各藩は競争し、薩長のように改革した藩と立ち後れた藩の格差が拡大した。明治維新では「地域統合」し、1を生かして3を捨て、国が自治体の赤字を補填するシステムができた。

しかし日本の財政は、EUと同じく限界だ。財政赤字が膨大に積み上がり、補助金や交付税で生産性の高い都市から低い地方に資金を移転していると、どっちもだめになる。残された最後の選択肢は、トリレンマを放置して財政政策を独立にすることだ。こうすると北海道や沖縄などの財政は破綻し、人口が都市に集中するだろう。

これはそれほど恐るべきことでもない。1950年代から70年代前半まで日本の人口は都市に集中し、それが高度成長を支えたのだ。地方からの人口移動を防ぐためにバラマキ財政で支える「明治型」の財政システムは、遠からず破綻する。「地方創生」などというのは、それとは真逆の時代錯誤である。