オーストリアで目下、イスラム・フォビアの風が吹いている。イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)がシリア、イラクで蛮行を繰り返す一方、イスラム過激派による欧州でのリクルートの実態が明らかになって以来、国民の間でイスラム嫌悪感が高まってきた。「米同時多発テロ事件直後(2001年9月)にも見られなかったほど、イスラム教への嫌悪感が広がってきた」と指摘する声すら聞かる。
同国のJohanna Mikl-Leitner内相は11月5日、「わが国からシリア、イラクの聖戦に参戦している数は154人で、そのうち26人が死去し、帰国した数は64人」と報告したばかりだ。聖戦から帰国した64人の動向については「厳重に監視中」という。
その一方、ウィーン市内でトルコ系のイスラム教学校が開校を控えていることが判明し、「イスラム教学者を育成する学校」ということで市民の間で不安が高まっている。市民の反イスラム教の機運に乗じ、極右政党「自由党」は6日夜、反イスラム学校デモを行ったばかりだ。
また、ウィーン市のショッピング街、マリアヒルファー通りにあるイスラム教祈祷院に対して3日夜、匿名の爆弾予告があり、シーア系の祝日を祝っていた信者たちが急遽避難するという事件があった。同じウィーン市のFloridsdorfで1カ月前、イスラム教拠点に「シャリア通り」「ISリクルート」と書かれた張り紙が貼られていた、といった具合だ。
オーストリアでは政府が作成したイスラム法改正案(Islamgesetz)について、同国のイスラム教信者団体から反対の声が出てきた。「宗派間の平等」と「宗教の自由」に反するというのがその理由だ。同国ではイスラム法は1912年に施行されたが、最近のISリクルートやインターネットを通じたプロパガンダ攻勢に対し厳しく対応する目的で政府が急遽作成したもの。同改正案では外国からの資金支援を禁止している。
同国では今年に入り、15歳と16歳の2人のイスラム教徒のギムナジウムの少女が突然、シリアに行き、反体制派活動に関わっているという情報が流れ、ウィーンの学校関係者ばかりかオーストリア社会全般に大きなショックを与えた。
オーストリアは目下、イスラム過激派の激しい攻撃に晒されている感じだ。オスマン・トルコ軍が1683年、ウィーンを包囲した時、ポーランドの王ヤン3世ソビエスキがウィーンを守るために兵を派遣し、トルコ軍の侵略を阻止した歴史を思い出す。オーストリアは第2の“イスラム教の北上”に直面しているといえるわけだ。歴史は繰り返されるのだろうか。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年11月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。