米エール大学のポール・ブルーム(Paul Bloom)教授(心理学)の興味深い講義をインターネットで聴いた。同学者は児童の発展心理学を研究している。
例えば、人間の「善」と「悪」の道徳感情は生来的なものか、それとも後天的かをテーマに1歳未満のベビーを対象に調査している。山に登る人を後ろから支え、助けている動画と、山を登ろうとする人を突き落そうとする人を映した動画を見せたところ、多くのベビーは前者の動画を喜び、後者の動画をみると怒りを表すという。すなわち、同教授の研究によれば、人の「善」と「悪」の道徳感情は人間に生来備わっているわけだ。
ところで、同教授の講義シリーズを聞いていた中で、ミシガン州立病院で1959年行われた、自称メシアと称する3人の精神病患者の心理調査を紹介している。心理学者たちが「自分はイエスだ」と主張する患者3人を同じ病院に集め、その言動を長期間研究したというのだ。
3人のイエスは互いに他のイエスをどのように受け止め、どのようにコミュニケーションをしたのだろうか、とても興味深い。その調査結果は当時、研究していた心理学者 Milton Rokeach が本にまとめたという。残念ながら当方は半世紀前のその本を知らない。
当方は教授の口から「1959年」と聞いた時、ファティマの予言者、修道女ルチアの証言を即想起した。ルチアはファティマで聖母マリアから3つの予言を受け取ったが、聖母マリアは「第3の予言は1960年前にその封印を解いてはならない」と警告している。ルチアはその伝記の中で、その理由については「聖母マリアは何も説明しなかった」と記述している。
そして2000年、ヨーゼフ・アロイス・ラッツィンガー教理省長官(後日のローマ法王べネディクト16世)が記者会見を開き、「第3の予言はヨハネ・パウロ2世(在位1978年10月~2005年4月)の暗殺を予言していた」と公表したことはまだ記憶に新しい。
しかし、第3の予言がヨハネ・パウロ2世の暗殺計画だったという話は、「第3の予言は喜ばしい知らせです。心配しないで下さい」と親戚関係者に明らかにしたルチアの証言とは明らかに一致しないのだ。
当方はこのコラム欄でファティマの予言について詳細に説明し、第3の予言は再臨主の訪れを意味していたと解き明かした。これはルチアの「喜ばしい知らせ」と一致する一方、バチカンが第3の予言をなぜ封印せざるを得なかったかを解明している。バチカンは偽イエスの出現を恐れていたのだ。
バチカンが再臨主の訪れを世界に告げた場合、偽イエスは必ず出現する。実際、世界には無数のイエスを自称する人々がいるからだ。彼らの多くは精神的病を抱えた人たちだが、真摯に「イエスの再臨」と主張する人もいるから、それを見分けることは大変だ。
ウィキぺディアの「イエスを自称する人々のリスト」をみれば、驚くだろう。イエスが十字架上で亡くなって以来、イエスの生まれ変わり、再臨を主張する人々が世界至る所でいるのだ。
イエスが「雲に乗って、天使長のラッパの音と共に」降臨するという聖句(マタイによる福音書24章30~31節)がある。だから、信者の中には天を仰いでイエスの再臨を待っている人々がいる。その一方、イエスが超自然的な現象を通じて降臨せず、初臨時と同様、肉体をもって降臨すると主張する信者がいる。
雲に乗って再臨された場合、誰が再臨主を中傷したり、批判できるだろうか。しかし、イエスは「彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」(ルカによる福音書17章24~25節)と予言している。雲に乗ってイエスが再臨した場合、考えられないシナリオだ。だから、イエスは初臨時と同様、肉身をもって誕生すると考えざるを得ないのだ。肉体再臨でなけれな、偽イエス問題は出てこないからだ。
ブルーム教授の講義の話から少々飛躍したが、教授の「1959年」と「3人のイエスの話」はイエスの再臨問題を考える際に重要な教訓を含んでいる。無数の自称イエスの中から真の再臨主を探し出す作業は容易ではないのだ(「朝鮮半島への『聖母マリアの警告』」2013年4月7日参考)。
聖書学者には、ディアスポラだったユダヤ民族が再び国を建設する時、イエスの再臨の時が来たと分かると信じている学者がいる(イスラエルの建国は1948年5月14日)。当方はファティマの予言から「1960年以降、再臨主は公の場に登場する」と考えている。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年11月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。