仮説提案型選挙の終焉

新田 哲史

※画像はwikipediaより

どうも新田です。お客様へのプレゼンで精緻に仕上げたつもりの仮説がダダ滑りしたときほどの虚しさはありません。昨日のGDP速報値が、あまりに悪すぎて解散のドタキャンがあったら、それはそれで面白いなと思うこの頃ですが、熱くなっているのは政治家と選挙関係者、マスコミ、意識高い東大生の青木大和君くらいでしょうか。ごくごく一般ピープルは、予定通りに総選挙に突入したところでシラケ感が加速し、投票率も戦後最低だった2年前の前回選挙を下回るんじゃないかと危惧しております。



盛り上がらないのも当然ごもっともなことでして、2009年の民主党に政権を託したものの、3年3カ月の短命に終わり、今度はアベノミクスを掲げる安倍さんに僅かな期待をかけたが、どうやら雲行きが怪しくなってきて国民としては「もう、どこの党に入れていいのか分からん」と思うのも無理もないわけです。日経の世論調査では夏の時点で無党派が過去最多の半数近くに上っておりまして、それから2四半期連続のマイナス成長の結果が出た現状は推して知るべしというところでしょう。

ただ、国民の政治熱が冷めきった要因として、もうちょっと長期視点でさかのぼってみると、ここ10年ほどの日本の選挙が「異常」だったとも言えなくはない気がしませんかね。冷戦終焉期に故・土井たか子さんのマドンナ旋風や細川内閣誕生という一時的な異変はあったものの、戦後半世紀以上、日本では自民党がほぼ与党にあって政権交代はあり得ませんでした。一応、民主主義国家としての体裁があるので選挙はしているのですが、野党が公約を掲げたところで結果は見え見えの予定調和なセレモニーに過ぎなかったわけです。2000年代初め、駆け出しの記者だった頃の私などは田舎の国政選や知事選で共産党の泡沫候補陣営の担当を仰せつかって選挙取材のイロハを学んだものですが、「共産党の〇〇候補は独自の戦いを展開」という定番フレーズが全国津々浦々の地方版に載ったものでした。

しかしそうした状況が一変したのは、小泉さんが総理になってから。選挙を仕掛けてきた側から新しい政策(仮説)を提案して戦いの主導権を取るというスタイルが、この10年ほどの選挙を“イレギュラー”な面白味を加えてきたと思うんですよ。すなわち、郵政民営化を問うた2005年の郵政選挙に始まり、政権交代を問うた09年の総選挙、大阪都構想を問うた11年の大阪ダブル選挙、政権再交代とアベノミクスを問うた12年総選挙と続いてきました。もっとも、一視聴者として断トツに面白かったのは、刺客だのチルドレンだのが出てきた郵政選挙だったわけですが、テレポリティクスの極致のような「劇場型政治」現象と相まって、メディア研究の定番理論である「議題設定機能仮説」の見本市とも言えるべく、提案型の攻める陣営が勝利し、ようやく日本にも米大統領選のような文化が定着するかと思っていたのですがね。

ところが一転、明日解散したとして、次の総選挙はこのまま行くと、アベノミクスの是非が最大の争点になりそうです。野党は批判するでしょうが、デフレ脱却のための妙案・対案で目を引くものはまだ見えてきません。そうなると衆院選としては2003年以来、目新しい議題を設定する政党が見当たらないという「普通」の状態に回帰しそうです。

しかし、シラケてしまって投票を完全放棄すると、何年かしてから「せめて参加しておけばよかった」と良心が痛むような予感がします。やまもといちろうさんの昨日のブログを見て、さすがだなと思いましたが、おときた君の夕張探訪記を引用しつつ、こんなことを書いておられました。

今回は安倍政権特有の「投げ出し」でないことを期待するほかないわけですが、選挙に勝った後で、本格的に景気が後退→消費税引き上げ再延期からの社会保障制度の破綻が起きるとシャレにならないぐらいに日本全国夕張化する可能性もあるので、正直いろんなものを考え直す必要があるのではないでしょうか。

この10年間続いた劇場型政治の刺激から解き放たれて思考停止している間に、日本国1億総シュリンクゲームが始まってしまうのだけは避けたいと思います。小泉さん、橋下さんの政治手法は賛否こそあれど、個人的には仮説提案する姿勢は評価しているのですが、とまれ、池田先生が言う「焼け跡」時代を見据えた新しい仮説提案を誰が近い将来するのだろうか?――今夕の安倍総理の決意表明記者会見は、そうしたことを思い浮かべながら襟を正してテレビの前にて見守りたいと思います。ではでは。

新田 哲史
Q branch
ソーシャルアナリスト/企業広報アドバイザー
個人ブログ