今回の解散劇をみてはっきりしたことがあります。それは日本人には消費税が心底肌に合わないという事であります。政府や官僚は真摯に受け止め、根本からその構造を見直す必要があるかもしれません。
消費税導入の理由とは消費というどの人にも公平な税の付加でありました。そして再三再四言われて続けてきたのが欧米との比較であり、特に欧州のそれが20%になろうとしていることを鑑み、日本でもその水準まで引き上げ可能だという「比較論」がその推進派の論理でありました。
ここで切り口を変えてみましょう。
何故欧米は消費税が高いのか、私は根本的に発想の原点が違うのではないかと感じ始めています。つまり、欧米、特に欧州の様に人が各国から入り乱れている場合、税の取り損ないが生じます。不法滞在、不法労働者やきちんと所得税を払わないケースはかなり多いとされています。スペインなど高失業率の国家でも統計の失業率に対してアンダーザテーブルの雇用(当局に税金を払わないように図らう雇用形態)が反映されておらず、実態が不鮮明な国も多くあります。
つまり、欧州の歴史を振り返ってみれば民族問題と労働の移動、かつての(差別用語らしいのですが)ジプシーという流れを汲んでいることを考えれば税の取立ては会社や個人所得税という正攻法の手段と共に税を全く払わない人たちからもそれを徴収する手段であったと考えられないでしょうか?
その点、日本は島国で他民族が入りにくく、入管でも厳しくチェックしています。つまり、消費に対する税の付加は欧米のそれをまねなくてはいけない前提が崩れてしまうことになります。よって、私は日本の消費税を語るにおいて欧州の税率との比較はその歴史的背景を無視した数字の比較論であり、あまり意味がないものになる様な気がしています。
ところで最近、司馬遼太郎氏の本を読んでいて面白い記述を見つけました。江戸時代が270年にわたり平和を続けた理由はなにか、というものであります。氏はこう書いています。「江戸270年の安泰をもたらした理由の一つは天領(幕府直轄領)の税が安かったという事である」と。
天領は当時全国の4分の1を占めたとされ、その直轄地の税率は四公六民(税率40%)であったそうです。一方、非直轄地は八公二民(税率80%)であったそうですから生まれた時に宿命があったとも言えそうです。いずれにせよ、氏は安い税が太平を作るとしているわけですから日本人と税の問題は歴史を紐解いて日本人論的に検討しなくてはいけない深さのある課題であるとも言えそうです。
私は今の日本で消費税がなぜ不評なのか、ずっと考え続けています。勿論、まだ答えなど出てこないのですが、最大の欠点は「取る一方」であることにある気がします。企業や所得のある人が税金を払うのは収入があるがゆえに一定割合は公租として払うことやむなし、と妥協できるのですが、消費税を正当化するには「財やサービスの購入を通じた効用に対する公租付加」というかなりひねくれた言葉しか思い浮かびません。「効用」とは経済学的な満足感でありますから満足感を感じるとそのうち何パーセントかは税として国が満足の一部を頂戴します、という事になってしまいます。
ではどうすればよいのでしょうか?
国税がこの3年間に三連発の大きな税改革しています。今年の海外資産のディスクロージャー、来年の相続税の見直し、16年のマイナンバー制度であります。これはどれも「持っている人」「きちんと払っていない人」の捕捉であって消費税のような天地をひっくり返すような議論にはなりません。「持てる人」がずるをしないかをしっかりチェックし、不当にサービス給付をしてもらうようなケースを取り除くことは大義名分が立ちます。
消費税についてはその払ったお金が消費者にどう還元されるのか、ストーリーラインをはっきりさせてみたらどうでしょうか? 例えばガソリンにかかる税金は道路を補修管理するために使います。有料道路の料金はその道路の為に使います(首都高はそれが不明瞭になってしまった歴史がありますが)。ならば、消費税は広く国民から徴収するのですから社会保障費に100%充当されるとか分かりやすさが必要だと思います。
今の官僚は非常に頭がよく、様々な逃げ道があるシナリオを作っています。税の仕組みも税務署署員ですら専門外は分からない状態になっている複雑怪奇さである点を踏まえればもっと極端にシンプルにして分かりやすい税体系をつくることが勘定奉行と民のウィンウィンの関係を築けるのかもしれません。
安倍首相は消費税を1年半延期し、原則として天変地異がない限りにおいて見直さず、景気判断条項も取り除くこととしました。私としては日本の税体系を日本人論や歴史との照合をもとに検証する時間であるとも考えております。不評な消費税が受け入れられる新たな切り口を生み出すことが必要なのではないでしょうか?
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年11月19日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。