思うようにいかない人生 --- 宇佐美 典也

アゴラ

高倉健さんというと「親の世代が憧れたカリスマ俳優」というイメージがあるのだけれど本人からしてみれば、思うようにいかない人生だったようだ。


明治大学を卒業後就職の当てがなく、仕方なく地元に帰郷してそこで友人の縁で芸能プロダクションのマネージャーの試験を受けた時、たまたま居合わせた関係者に見込まれて俳優の道を歩むことになったらしい。望まずして歩んだ道で、ドーランを塗られた自分の顔を初めてみたときは情けなくて涙が出たらしい。あれよあれよと人気が出てスター街道を歩むようになった後でもむしろ演技指導を受けたことが無いのがコンプレックスとなり、またヤクザものばかり演じさせられることにも辟易していたようだ。多分彼が本当に俳優という人生を受け入れ楽しむようになったのは「幸福の黄色いハンカチ」以降のことなんだろう。この時46歳。

意外なようだけれど人生というのはそういうものなんだろうと思う。所詮私は33歳の若造だけれど、自分が持っている才能と自分がなりたい道との方向性とはなかなか噛み合ないということは、経産省を辞めて独立してからの2年半で痛い程味わった。

「あれもしたい、これもしたい」と思っていたが、現実を前に、技術も無く、金も無く、人脈も無く、英語もイマイチな自分を痛い程見せつけられ強烈なコンプレックスを抱いたが「所詮今の自分なんてこんなもんなんだ」と受け入れてからは少し楽になった。そもそもスキルというのは経験に根ざすものなので、私が無能なのはそれだけ経験に乏しい人生を送って来た自分に責任がある。

そんなわけでもう30歳を越えてるんだし、なりたい自分と現実の自分とのギャップに悩んで時間を浪費している暇はないので、「自分は成長過程にあるんだ」と考えて、妄想するのは辞めて地に足をつけて今の自分に出来ることに専念することにした。

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もう少し具体的に言うと、私は人よりも多少物事を理解する力に長けているし、またそれをマトモな文章にすることが出来る。これだけは自信がある。だから文章を書くことで自分の身の回りの問題を人に訴えることで、自分に必要な人を引き寄せて、そうして自分に興味を持ってくれた人と戯れることで、少しずつ自分の周りに人の流れを作っていくことにした。他力本願だ。空振りがほとんどなのだけれど、たまに上手く流れが出来てしまえば私は乗るだけだ。っていうか何も出来ないから流れに乗るしかない。

最近ではそういう「無能」というコンプレックスも埋める努力は放棄して、むしろ積極的にさらすことにしている。そうすると、自分のコンプレックスをカバーしてくれる人が寄って来るし、そういう人達は自分とは逆のコンプレックスを持っていて、自分がそういう人達の心の穴を埋められることも知った。人間は互いに協力して寄り添って生きるものだ。先日起業を志す若者に「人生において一番恐いものは何か?」と聞かれたので、「孤独」と答えたのだが、彼はその意味が分かってくれただろうかとふと思いだす。

そんなわけで、自分の人生を切り開くために、誰かの役に立つために、せいぜい書き続けようと思う。最後に高倉健サンの冥福を祈る。週末にでも「幸福の黄色いハンカチ」を見てみよう。

ではでは今回はこの辺で。


編集部より:このブログは「宇佐美典也のブログ」2014年11月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のブログをご覧ください。