日銀の黒田総裁は追加緩和するとき財政規律の維持を求めたが、安倍首相はそれを無視して増税の先送りを決めてしまった。「言論アリーナ」でも話したように、このように政府と日銀の行動がちぐはぐになるのは危険な兆候である。
それは本書の描く戦前の政府と軍の関係に似ている。陸軍が日中戦争に突入した原因については、よく「関東軍が暴走した」とか「参謀本部の強硬な方針を政府がコントロールできなかった」という話があるが、本書は参謀本部は日中全面戦争を望んでいなかったという。
1937年のトラウトマン工作のときも、参謀本部は和平交渉の継続を主張したが、近衛首相は選挙に勝つために軍よりも強硬な方針を出し、海軍がそれを支持したために交渉は打ち切られた。翌年「帝国政府は爾後国民政府を対手とせず」という近衛声明が出され、これが泥沼への分水嶺になった。
「陸軍には戦略がなかった」というのも正しくない。当時の陸軍はエリート集団であり、指導者はそれぞれ戦略をもっていた。石原の戦略は対ソ戦にそなえるために満州を占領するもので、そのために彼は戦力を温存しようとして華北分離工作には反対した。
しかし武藤章などの強硬派は、来るべき世界大戦にそなえて中国を補給基地にするという永田鉄山の戦略を受け継ぎ、石原の制止を振り切って上海から南京に戦線を拡大した。参謀本部はそれを追認し、政府に対しては強気の方針を表明した。
武藤の戦略は東南アジア一帯を日本の補給基地にするもので、対米戦争は考えていなかったが、彼の後を継いだ田中新一は石原の影響を受けて「世界最終戦争」は必至だと考え、対米戦争を辞さなかった。
彼らが対立したとき強硬派に味方したのは、大政翼賛会で国民の圧倒的な支持を得た近衛だった。泥沼をもたらしたのは戦略なき戦線拡大ではなく、政府と軍の指導者の戦略の食い違いだったのだ。
この参謀本部を日銀に置き換えると、今の状況に似ている。黒田総裁も内心では危ないと思っているだろうが、ここまで来ると「期待」を維持するためには強気を装うしかない。ところがそれにミスリードされた安倍首相は「デフレ脱却」ですべてが解決すると思い込み、黒田氏はハシゴをはずされてしまった。
マイナス金利にして財政ファイナンスを続ける金融抑圧には、よくも悪くも政府と日銀の協調が必要である。彼らの戦略が食い違うと、誰も予想していなかった破局が待っている。