「朝日新聞的なもの」にトドメを刺すための出口戦略(後編)

倉本 圭造

このタイトルで書き始めたのは数ヶ月前で、これは続編なんですが、これ単体でも読めます。

なんかちょっと物騒なタイトルですけど、内容は朝日新聞擁護派のあなた(社員とか関係者だけじゃなくて、要するに単純化した言い方で言うと”左”のあなた全員)にとっても悪い話じゃないものにしたいと思っています。

むしろ、第1回を書いた時以降、色々と頂いた反響を読んだり、あるいは世の中で展開されている議論を読む中で、「朝日新聞擁護派」の人たちが何を懸念していてどういう点にこだわっているのか・・・がわかってきたこともあり、今回はかなり「朝日新聞派」のあなたとしてもご自身の矜持やプライドや良心を失わないまま、「右」の人たちと共通のゴールに向かっていける方策を提示できると考えています。

経営コンサルタントの世界には「3C分析」という言葉があって、自社(Company)、競合(Competitor)、顧客(Customer)の3つの視点から偏りなく物事を見るといいよ・・・という話なのですが、そういう意味では、

Company: 朝日新聞だからこそできる!
Competitor: 産経新聞にはちょっとできない!
Customer: 潜在的に大多数の日本国民(および韓国・中国国民)みんなが望んでいる!

・・・そういう「進むべき領域」についてお話しよう

という野心的な記事です。寝っ転がってスマホで巡回してたらたまたま辿り着いたあなたも、ぜひ心して読んでいただきたい。

だいたいの目次は以下の通りです。

1・なぜ経営コンサルタントがこの問題に深入りするのか
2・日韓関係を経営コンサルティング事例に例えると?
3・朝日新聞支持派の良心も守れる解決策はこれだ!


1・なぜ経営コンサルタントがこの問題に深入りするのか

こういうブログは私の場合本を売るためのパブリシティとしてやってるので、毎回自己紹介がてら話をしていることがあるんですが、私は大学卒業後、マッキンゼーというアメリカのコンサルティング会社に入ったのですが、その「グローバリズム風に啓蒙的過ぎる仕切り方」と「”右傾化”といったような単語で一概に否定されてしまうような人々の感情」との間のギャップをなんとかしないといけないという思いから、「その両者をシナジーする一貫した戦略」について一貫して模索を続けてきました。

そのプロセスの中では、その「野蛮さ」の中にも実際に入って行かねばならないという思いから、物凄くブラックかつ、詐欺一歩手前の浄水器の訪問販売会社に潜入していたこともありますし、物流倉庫の肉体労働をしていたこともありますし、ホストクラブや、時には新興宗教団体に潜入してフィールドワークをしていたこともあります。(なんでそんなアホなことをしようとしたのかは話すと長くなるので詳細はコチラ↓をどうぞ。)
http://keizokuramoto.blogspot.jp/2012/07/blog-post_18.html

で、今はコンサル業に戻っているんですが、一時期はこういう「ナショナリズムに関する問題」にかなり深く関わっていて、そういう視点と経済を関わらせた本を二冊(『21世紀の薩長同盟を結べ』『日本がアメリカに勝つ方法』)出しています。

しかし、人によっては、こういう問題に関わるのは「現代社会の負け組のためのアヘン」みたいなものだ・・・みたいなことを言う人もいますよね。

フェイスブックをやって毎日充実しているような人間は決してこんなことはしないが、フェイスブックになじめない負け犬どもはこういう問題でキャンキャン吠えるから全く困ったものだねえ的な、どんだけフェイスブックユーザーはエラいんだ・・・というような話をネットのどこかで昔読んだことがあります。(ほんの身近な人と繋がるために私も隠れてはやってるんですが、しかし全然関係ない他人にまでプライベートを晒したくないとか、あの超”ムラ社会”が苦手だって人もいますよね)

そうはいっても確かに、「ナショナリズム」的な本を書く仕事から離れて、コンサル業が少し忙しくなっただけで、「こういう話題」の最前線的な情報からかなり遠くなってしまうもんだな・・・っていうのは私自身もここ数ヶ月体感してしまったことではあります。

ちょっと油断していると、「この世界の大ニュース」的なものが3つ4つネットで炎上しては消えていったのに全く気づかずにいたというようなことがあって愕然としました。だから、なんでアンタはこの問題にそこまでこだわってるの?という疑問や反発というのは結構理解できる部分もある。

安倍政権は、ちゃんと市場が求めるアベノミクス関連の構造改革に集中してくれたらいいのに、なんかよくわからん「右」の人たちの無駄な問題で意地はってくれちゃったりしてほんとメーワクなんだよな・・・というような意見はかなり聞きます。

しかしね、前述の「色々やったフィールドワーク」的なものや、あんまり「知的かつグローバル」でない部分の、しかし日本社会の根幹的な強みの源泉になっているような部分・・・と関わってきた私の体験から言うと、「こういう問題」は「経済」と関係ないわけじゃない・・・というか「絶対的に物凄く関係ある」んですよ。

例えば、最近は少し陰ってきたものの一時期まで圧倒的なマーケティングパワーで世界中を席巻していたサムスンの力の源泉と、彼の国の強烈なナショナリズムとが関係ない・・・なんてことは絶対ないですよね。

むしろ、最近の韓国的なショナリズムがあちこちから「少し一方的でやりすぎでは感」を持たれつつあることと、サムスンの業績に陰りが見えて始めていることは、鶏が先か卵が先かはわかりませんがかなり表裏一体の現象と言っていいぐらいです。

つまり、こういう「国のかたち」的な問題は、「経済活動の勢い」に対して決定的な影響力を持ってるんですよ。

こんな話題には普段全然興味ない人も含めたあらゆる人間の日常生活や経済行動のパターンにメチャクチャ影響する。広範囲の人にここまで根底的な影響与えられるものってなかなかないというぐらい影響があるんですよね。

一方で、私のクライアントのある経営者(Sさんとします)が、

今の日本だと「物凄く強権的にガツガツと独自の方式を押し付けて行くスタイル」か、それとも「血も涙もないグローバリズムの延長線上のマシーン」みたいにならないと「拡大」していけない感じがしてしまうが、もっと「色んな関係者の利益をバランスさせた良識を維持しながら、毎期ちゃんと利益を出して、人も雇って、普通に拡大していく」っていう道があるはずじゃないか・・・(と思うんだけど油断するとすぐこれじゃダメなんじゃないか・・・という気になってしまう)

って言ってました。実際その会社はちゃんと利益も出しつつ適切に伸ばしていけてはいるんですけど、それでもついつい「世の流行り」があまりにもイビツな方向を向いている状況がある中で、ちょっと油断するとすぐにソレに引っ張られてしまいそうになる・・・というんですね。

要するに、そういう「日本的な調和の延長線上でちゃんと経済を回していきたい」みたいな人は、今の日本ではどうしても「責任をちゃんと持てる範囲で小さく小さくやっていこう」という風になりがちなんですよね。

そうやって「調和を保って生きていこうとする人はどこまでも縮小均衡的に生きる」一方で、逆に「物凄い強権的」だったり「物凄いグローバリズムの延長線上になぎ倒していくような」人たちだけが「超拡大主義」だったりする。

「王道的な調和と自然な拡大路線」を両立したいな・・・って思ってるような人たちをちゃんとエンパワーしていかないと、片方では血も涙もなさ過ぎるグローバル資本主義があり、逆側にはイスラム国みたいなテロリストか、物凄い統制経済的な発想か・・・しかなかったらどこにも希望がない世界になるわけなんで。

上の絵みたいに、今の世の中は「血も涙もなさすぎるグローバル資本主義」みたいな熱すぎる熱湯のような世界が一方であるかと思ったら、北朝鮮やイスラム国みたいな「いやいやそれは冷たすぎるやろ」っていうようなお風呂しかなくてみんな困ってるんですよね。

「あまりにも熱湯」だったり「あまりにも冷水」だったりすることがない、「適温」をまとまって提示してくれる国が必要で。今の日本はまさにそれをやることを潜在的には全世界に求められているタイミングなんですよ。

だから、私のクライアントのSさんが(彼にかぎらず多くの日本人の潜在的な良識感を持った経営スタイルが)堂々と自分の道を進んでいける、そしてそういう態度が「広範囲に問題なく共有できる」ような「ザ・ジャパニーズスタイル」を押し出していけるような、「背中を押せる立ち位置」がムーブメントとして必要な時期なんですよ。

彼らが、今のサムスンが「韓国民のナショナリズム的ガッツに背中を押されているレベル」とシッカリ対抗できるぐらいまで堂々としていられるようになるには「よっぽどの力で押す」ことが必要ですからね。そういう部分での「免疫反応」みたいなのが今の時代の「右傾化」なんですよ。

物凄く物凄く誤解を生みそうな表現をあえてしますけど、「わざわざプロの女性を用意して現地でのレイプが起きないようにしなくちゃ」とか考えるほどの「日本人のある性質」だけは、そういう「ちゃんと後先考えるあり方」みたいなものは「適切な分だけ名誉回復」してあげないといけないんですよ。

当然、そういう風に女性を扱うことについて見なおさなくちゃね、とか、本人の意志に反してそういう境遇におかれてしまった女性に対する謝罪の気持ちは大事だよね・・・っていうのは当然あるべきことですよ。戦争があって日本軍が他国に攻め込んだ事自体も、当時の時代状況とか国際情勢を全然考えずにありとあらゆる問題が全部日本のせいとか言われるとフェアじゃないとは思うが反省しなくちゃいけないことではあるでしょう。

ただそういう「過去の問題のために、「現代の」日本人が”本来堂々と見せていくべきある性質”まで一緒くたに抑圧されてる現状があるんですよね。その「宝石が混ざったゴミの山」みたいなものがあって、「宝石を取り出すまでこのゴミの山は捨てるわけに行かない」的な状況にあるわけなんですよ。

だから、そこで「やらせはせん、やらせはせんぞぉー!」byドズル・ザビ的な”右”の人たちのやり方が気に食わないなら、”左”のあなたなりの形で私のクライアントの彼のような存在をキチンとエンパワーしてくれないと困るわけです。(しかも、そういうのって大事だよねえ・・・って遠い目をしてボソッと言うレベルじゃなくて、あの”サムスンの背後を押している力”とガチンコで対抗できるほどの強さの力でね!)

実際、Sさんのような方向性を持とうとすると、「縮小均衡主義者」からは強欲扱いされるし、「強欲な資本主義者」からは時代遅れな正義を振り回す嫌なやつ扱いされるし・・・で、いろんなところのバランスを取るのに公私にわたって物凄い苦労してる感じになるんですよね。

一方で韓国は、セウォル号事件での船長の挙動とかね、色んな点で「いやいや反日もいいけど、我が国民はもうちょっと自分を省みる力を持った方がいいんじゃないか」と思ってる人も増えてきているタイミングだと思います。ある意味で財閥企業だけが徹底的に強化されてる構造自体にもメスを入れていこうということになると、第一段階として「国内対立は常に反日してガス抜き」っていう構造から脱却しないといけないわけですからね。

だから物凄く単純化して言うと、

韓国が「もう少し反省できる国」になって、日本が「もう少し堂々と良さを主張できる国」になるような落とし所が必要な時代の転換期

が今なんですよね。

で、そこに本来「朝日新聞(直接の関係者に限らずそちら側にシンパシーを持っている人)ができること」っていうのが物凄くあって、そのプロセスは朝日新聞的な「良心」や「理想」を今よりも圧倒的に実現できる道が開けているのにそれをやっていないからこそのバッシングなんですよね。

「吉田証言は国際的な慰安婦問題の周知プロセスにおいてそれほど大きな位置を占めているわけではない」「同じような記事は朝日以外の新聞も書いていた」とかいう反論をするのがいかにも「責任逃れ」に見えてしまうのは、朝日新聞側にいる人が「強制性があろうとなかろうと慰安婦の人たちの苦痛は変わらないじゃないか」という風に思うのと同じレベルの「やるべきことをやっていない感」があるからなんだということをご理解いただければと思います。

。。。そうはいっても、安倍政権のやり方は承服できない!という人の気持ちや懸念も、第一回以降色んな反響を頂いた中でわかってきたので、次章では「そういうあなたの大事にしたいこと」の延長で、ちゃんとこの問題を解決に結び付けられる方向性についてお話します。

安部総理のことは嫌いでも、日本国のことは嫌いにならないでください!(12月発売予定の書籍の絵より)

2 日韓関係を経営コンサルティング事例に例えると?

経営コンサルティング的にある「会社」に「外部」から入ると、「会社内部の色んな部署同士の対立」に巻き込まれることがよくあります。

で、その「部署のエゴ」がぶつかりあってるところから「共通の目標」を思い出させて議論を整理していくと案外スルスルとうまく行くときもあるんですが、そういう時に気をつけないといけないのは、「事情を主張しやすい部署」と「事情を主張しにくい部署」ってのがあることです。

つまり、「営業部門」的なところは成果が数字で問答無用に出るので、そこにいる人は「俺達が一番エラい」と思ってたりします。俺たちには「数字という正義」があるから、「これに反対するヤツは悪だ」という風に言いやすい。

会社というのはどんな方向でもシンプルに意思統一できれば短期的にはうまく行ったように見える部分があるので、例えば営業部門の要望を全社的にゴリゴリと押し通してしまおう・・・という話になることは1つのよくあるパターンとなります。

しかし、それに頑強に抵抗する部署が現れたとする。その「抵抗している部署」は間接部門で、成果が数字で主張できないので立場が弱く、あいつらはただ自分たちの苦労を増やしたくないから抵抗してるだけなんだ・・・っていうような感じで押し切られてしまうことがある。

でも、その「間接部門の抵抗」にはそれなりの事情が実はあって、無理やり「営業部門の要望」を押し通してしまった結果、サービスを売ったはいいがそれをちゃんと納品したり保守管理したり苦情対応したり・・・という業務が明らかに滞るようになってしまって、結果として売った顧客にも怒られるし信用は崩壊するし・・・ということにもなりかねません。(日本の会社の場合、シワ寄せされた部署がなんだかんだ根性で乗り切ってしまって、問題は発覚しないまま”沈黙の臓器肝臓”のようにモクモクとダメージが溜まっていったりすることもあります)

結局どうすればいいかというと、営業部門が取ってくる顧客のパターンが、利幅が薄くてとにかく間接部門にとにかく苦労だけかかるものになってるのを変えて欲しいという話かもしれないし、全社的にそういう顧客を取りまくるというのなら、それをこなす間接部門の苦労が低減できる仕組みを整えた上でやったり、あるいは単純にちゃんと人員を手当したほうがいいんじゃないかとか・・・まあ、色んなゴールがありえるわけですけど。

いつでも大事なのは、「声が大きい部署が言ってること」も「声が小さい部署が言ってること」もちゃんと平等に聞けるようになって、全体としてどうしたら一番スムーズかを客観的かつ高い目線で決めていけるようになるかどうか・・・です。

・・・さて、私はこの喩え話でどういうことを言いたいのでしょうか?

日韓関係や慰安婦問題は、「問題だけ」を冷静に話し合えれば結構簡単に解決する可能性があります。

「妥結点」として河野談話というのは、うまく合意できる「可能性」があると私は思っています。

この問題には2つの側面があります。それぞれA・Bと名付けると、

A日本が植民地支配をしたことは悪かったし、意に反して大変な目にあった女性に対して謝罪や補償をする意志はある。
Bでも日本には日本の事情もあったし、だいたいあの時代の全世界的・全人類的なムチャの結果生じたことを全部なにもかも日本だけのせい・・・ってことにされるのはちょっとね。

Aにおいては、むしろほとんどの「安倍政権側」の人も本来強く否定はしていないラインだと思います。問題はBのところで際限なくはてしなく韓国側がマウンティングしてくるのを「誰も止められない状況」になってしまうことなんですよね。

最近、韓国側からのある程度中立的な検証をされた本が韓国側で発禁になるってことがあって(それ自体どういうことやねん!て感じですけど)、それについて韓国の新聞朝鮮日報が、

慰安婦問題では朝鮮人も責任を避けられない、という指摘は認めざるを得ない。娘や妹を安値で売り渡した父や兄、貧しく純真な女性をだまして遠い異国の戦線に連れて行った業者、業者の違法行為をそそのかした区町村長、そして何よりも、無気力で無能な男性の責任は、いつか必ず問われるべきだ」

という文章を掲載した・・・という記事が(産経ソースですが)ありました。

要するに、「数字で説得できるから問答無用で強い営業部門」のように、「被害者カード」をいくらでも切れる韓国側が、果てしなく全ての問題を(現代韓国社会におけるあらゆる不幸の感情的帰結を)、全部「日本」にぶつけようと思えばぶつけられる「情勢」になること自体が大問題なんですよね。

これは、”そういうのは健全じゃないよねと思ってる韓国人”がかなり多くいる状況になってまでもまだ決して止められない状況になってしまうところが怖いところだし、現状日本側からの押し返す方策はヘイトスピーチや”右傾化”しかないよね・・・という構造になってしまう部分でもあります。

そういうところでの「節度」と「バランス」が保たれるのならば、「河野談話」のところで手打ちにしても良い・・・というのは多くの「安倍政権側」の人も納得できるラインだと思います。

とはいえ実際そういう意見を言うと「”あの韓国人”たちがそんなことするなんて信じられない!」と彼らは異口同音に言って、その”不信感”ゆえに河野談話自体を撤回させようという運動も盛り上がっているようですが、それはどこかの誰かが人間的に間違ってるんじゃなくて、こういう”構造的な不信の連鎖が原因”だと思えるようになるといいわけですよね。

良い人間と悪い人間がいるんじゃない。人それぞれ大事にしたいものが違っていて、それぞれがお互いにぶつかってしまう時があるから交通整理が必要なんだ・・・という世界観で行きたいものですよね。敵側を人格否定して終わったりしないでね。

さて、ここまでの話を、絵にまとめてみましょう。

今の日韓関係は常にこういう図のようになっています↑。

図式的に言うと、

日本のナショナリスト
vs 
(中国のナショナリスト+韓国のナショナリスト+日本のリベラル+韓国のリベラル+中国のリベラル)の大連合軍

みたいになって日本のナショナリストは孤軍奮闘状態になってるんですよね。で、彼らにも彼らの「完全には押し切られることができない事情」もあるんですよ。

だけど、第二次大戦の経緯みたいな錦の御旗が一方向的に作用するんで、「数字を持ってる営業部門」があらゆる反論をなぎ倒してしまうように、「どこまでも押し込んで」しまいそうになる。(韓国人の多くもこのへんで辞めたいな・・・と思ってるところですら止まれなくなってどこまでも行ってしまう)

ここで考えたいのは、「間接部門」で働いてる人も「営業部門」の人が気分良く売上あげてくれるようにしたいとは思ってるってことなんですよ。草の根レベルでは「隣の国なんやし、仲良うしたらええやん?」ってみんな思ってるようなものでね。

しかし「数字を持ってる営業部門」がその「反論しづらさ」を乱用してなんでもかんでも押し込んできたら、「押し込まれきってしまわない」ためにはケンカもしないといけなくなります。多少のムチャをしてでも止めないといけなくなったりもする。

結果として、ヘイトスピーチなどの形で過激化した運動で「押し返す」しかなくなる。そもそも河野談話ごと破棄しようという運動にもなる。欧米の植民地と違って日本政府がかなり持ちだしで投資をした植民地支配にはいい所も多くあった・・・とか、まあそれをこっちから言っちゃあおしまいじゃないかな・・・という話で内輪で盛り上がって、結果としてさらに相互理解が不可能になっていく。

さて、この状況で、「朝日新聞関係者や朝日新聞擁護派のあなた」が、自らの良心やプライドや信念を曲げずに、「根本的な解決」のレバーを引くためにはどうしたらいいでしょうか?

Company: 朝日新聞だからこそできる!
Competitor: 産経新聞にはちょっとできない!
Customer: 潜在的に大多数の日本国民(および韓国・中国国民)みんなが望んでいる!
・・・そういう「進むべき領域」

ってのはどういうものでしょうか?

一度考えてみてください。30秒ほどでいいです。

その答は次の絵です。

こういう感じの役割を、朝日新聞さんが担ってくれたら、ほんとみんな助かるし(日韓のナショナリストも心の底ではホッとするはず)、何よりスゲーかっこいいのになあ!

こういう風に適切にバランスされてて、「あとちょっと右・・・いやそれは行き過ぎかな・・・そうそう、それぐらいちゃう?」っていう感じの微調整が常時自然に行えるようになってれば、別にナショナリストさんも青筋立ててヘイトスピーチする必要もなくなるし、「そういうのは見苦しいからやめなさい」的な「右」内部での自浄作用も働くわけですよね。

余談なんですが、この前コンビニでたまたま立ち読みした週刊誌の記事で、読売と朝日の記者が匿名で座談会をやってる・・・みたいなシーンがあったんですが、それで

読売記者「朝日はエリートだからねえ・・・」
朝日記者「いやいやうちはそんなことないですよ。フツーですよ。」
読売記者「いやいや、あんたのとこはエリートだよ。上から目線でさあ。」
朝日記者「いやあ・・・そんなこともないんじゃないですかねえ。フツーですよ。そういうのはほんの一部の人だけですよ。」

みたいなのを果てしなく数ページやってる記事があったんですけど(笑)、別に朝日新聞にそんな風になってほしいわけじゃないわけですよね。

反権力なら反権力でいいし、エリートならエリートでいいんですよね。

ただ自分たちの言動には物凄い社会的影響力があるわけですから、独立系の跳ねっ返りのジャーナリストの気分で、「安倍が困ることならなんでもしてやるぞ!」というようなモードでいられると誰もシアワセになれないことになってしまうわけで。

しかし、そういう気概がなくなると日本は果てしなく付和雷同の社会になっちゃうんじゃないか、っていう懸念はもちろんわかります。

だからこそ、あなたがたがやるべきことは・・・・次章へ!

3朝日新聞支持派の良心も守れる解決策はこれだ!

だからね、

・反権力・反ナショナリズムを貫いてくれていいが、それはどこの国の政府に対しても筋を通して同じ態度を断固として取ること
・そういう「一貫したリベラル」の姿勢で国際的な協調をリードする役割を担っていくこと

これが、本記事において「朝日新聞サイドにいるあなた」に提案したい、

Company: 朝日新聞だからこそできる!
Competitor: 産経新聞にはちょっとできない!
Customer: 潜在的に大多数の日本国民(および韓国・中国国民)みんなが望んでいる!
・・・そういう「進むべき領域」

なんですよね。

要するに、

日本のナショナリスト
vs 
(中国のナショナリスト+韓国のナショナリスト+日本のリベラル+韓国のリベラル+中国のリベラル)の大連合軍

こういう↑バランスになってると、日本のナショナリストとしては「言い過ぎ」になるぐらいの行動をする必要が出てくるんですよ。ヘイトスピーチだって止められなくなる。

しかしこれが、

日本のナショナリストvs国際連帯したリベラル
韓国のナショナリストvs国際連帯したリベラル
中国のナショナリストvs国際連帯したリベラル

という感じに持っていけると、

のようなバランスが生まれるので、あとは一個一個の問題について冷静にお互い納得できる道へ行きましょうね・・・っていうだけで良くなるんですよね。

こういう形になれば、右も左も日本も韓国も、あらゆる立場の人の思いを1つの皿に載せて具体的な落とし所を探っていける状況が生まれます。そして、「リベラル」の人は今みたいにコワゴワじゃなくておもいっきり「反権力の矜持」を生きてもらっても良くなる。

これなら「異議申し立て」をしたい人がいればスムーズに取り上げることができるし、客観的に見て「おいそりゃやりすぎやろ」ってところで止められるようになる。リベラルとしても良心を守れる。オッチャンオバチャンレベルの「近所なんやし仲良くしたいよね的な気持ち」もちゃんとマクロ的情勢に反映できる。

要するに、隣国の「国家主義的攻撃」があればそれに「日本側の国家主義的攻撃」で対抗しなくちゃいけなくなるんですよね。だからこそちょうど同じだけの圧力で厳しく国家主義的ゴリ押しがチェックされるならOKなんですよ。

具体的にそれが「どういう行為」をさすのか・・・は、それぞれの立場で考えていただきたいと思っています。

なんせ、こういう問題というのは、「仕事として関われる人」以外は忙しすぎて細部をフォローしきれないところが沢山ありますからね。

ただ、大方針としては、

日本のリベラル勢力が、韓国側の「ある種の自制を担おうとする勢力」との明確な連携関係のイニシアティブを取っていくこと

これが全てのネジレを解いていく最初の鍵となるだろうと思います。

日本側のリベラルによる取材に対して、それほど過激でない立場の韓国人が「確かに我々韓国人は一体となって盛り上がってしまい一つの国論とは違うことを個々人が言いづらくなってエスカレートしがちだけれども、日本政府はひどいことを彼女たちにしたのになぜちゃんと謝罪をしないんですか?」というような感じの話をしているのをよく見かけます。

私はそういう発言を読むたびに、いやいや、その前半の「エスカレートしがちだけれども」の部分が世界最強レベルにやり過ぎる感じがするからこっち側のナショナリズムも硬化するんですよ・・・と思います(だいたい謝罪自体も何回もしてるし!と日本の”右”の人は思ってるわけで)。

そういう韓国人側の多くの理性的な人の「確かにやり過ぎな部分も自分たちにはあるよね」という感覚を「同胞の批判を恐れず表明する 勢力」に「日本の右」が結びつく動きは散発的にあるようですし、それにもまあ意味はあると思いますが、「その組み合わせ」だけが進展すると今度は「韓国側が全部悪い・日本側は全然悪くない」っていう方向に進むしかなくなってしまって結局極論同士の対立が余計にややこしくなるだけに終わりそうです。

だからこそ、ここに「朝日新聞側に立っている日本人」がイニシアティブを取ってくれたら日韓両国のあらゆる立場の”みんな” が助かるのになあ!っていう領域があるんですよ。

そうすることで、「日本側のナショナリズム」と「韓国側のナショナリズム」に対して「ちょうど全く同じ圧力で批判している存在」が両国を通じて分厚く分厚く分厚く分厚く形成されてくれば、そこを起点にあたらしい日韓関係は生まれていくでしょう。

で、ドグマ的にどっちかが全部悪いってするんじゃなくて、常に微調整をしながら「ここまではお互い飲める」「ここから先はいくら”被害者側”だからって言いすぎ」っていう線をゼロイチの極論でなく形成していくことが可能になる。

高級車のサスペンションは密度が高いので、多少の段差があってもそれを柔らかく受け止めて乗っている人に衝撃を伝えません。一方で、安い車のサスペンションは密度感が荒いので、ショックが入ってくるとガツーンと両極端に触れてしまって衝撃が大きくなります。

イメージを持ってもらうためにいろんな例を話しますが、例えば商いの量の大きい大型株は多少のショックがあっても吸収されて株価の変動が緩やかになりますが、取引者があんまりいなくて商いの薄い株はちょっとしたショックでものすごく乱高下したりします。

そういう「メッシュの粗さ」的な問題を解決することが、今の日韓関係で一番大事なことなんですよ。

「ここまではお互い飲める」「ここから先はいくら”被害者側”だからって言いすぎ」という微調整が、最近流行のハイレゾオーディオのようにどこまでも「高精細」に読み取れるようになっていけば、日韓関係の改善は進みはじめるでしょう。

そのために必要なのが、この絵↓から、

この絵↓への転換

というわけですね。

慰安婦問題についても、「韓国のナショナリズム」と「日本のナショナリズム」がちゃんと「痛み分け」状態になって、それとは慎重に分離された形での「被害者への補償や謝罪」ということならば、日本のナショナリストもそれほど抵抗感なく受け入れられる可能性が見えてくるでしょう。もちろん、日本側が謝罪を繰り返してきたことや、補償もかなりしてきていることに対する周知も必要ですよね・・・という点も譲れません。

それが要するに「河野談話のライン」が本来目指していたものなんだと私は思います。

その状況になるまでは、ある意味で日本側のヘイトスピーチも、「河野談話の白紙撤回を求める市民の会」的なものも、「崩れたバランスをなんとか押し戻そうとする免疫反応」だと思うと、私は積極的に敵視する気にはなれません。むしろそこで「責任」を感じて、「あるべきバランス」を模索することこそが、「21世紀のリベラル」に求められることではないかと思っています。

なにしろ、曲がりなりにも戦前から一応言論の自由がそれなりにあった長い時代を経ている日本と違って、韓国はついこないだまで軍事独裁政権だった国なので、こういう「言論の自由とバランス」に関して大分条件が違うわけですよね。

日本における「国家主義的なもの」は、80-90年代あたりに、特にこの慰安婦問題が大きくクローズアップされる時期を経てずいぶんとオープンになったと私は思います。韓国人が自嘲的に「確かに我々韓国人は一体となって盛り上がってしまい一つの国論とは違うことを個々人が言いづらくなってエスカレートしがちだけれども」という要素が日本にも昔は同じレベルであったと思いますが、今度は韓国社会がそういう「オープン化」をする時代転換が来ているんだと思います。

まさに、

韓国が「もう少し反省できる国」になって、日本が「もう少し堂々と良さを主張できる国」になるような落とし所が必要な時代の転換期

なんですよね。

これは、より「遠景」として見ると、ここ20年間世界唯一のスーパーパワーとして君臨していたアメリカの相対的退潮とともに、今まであらゆる雑音は彼らが爆撃して黙らせてくれてるおかげさまの平和の上でノウノウと暮らしてきた我々全員に、こういう「常時存在する無数の調整過程」に対する責任が生まれてきているよねという話でもあります。

その中で、今までは「ゼロイチ」に「どっちかが完全なる善・どっちかが完全なる悪」というふうに分断する世界観でやってきたグローバリズムの第一期が生み出したいろんな問題を解決することが人類的課題になってきてるんですよ。

の絵のような問題に対して一貫して「ど真ん中」の方向性を示してくれる存在を世界中が欲しているし、日本はそこに飛び込むことで今まで本来あるべき水準を超えて侮辱を受け続けなくてはならなかった自分たちの自然性の延長が、「世界の人類にとって喫緊の課題に対する解決策」となる転換が可能になるんですよね。

「血も涙もなさすぎるグローバル資本主義」を生きるか、それとも北朝鮮かイスラム国みたいになるか・・・みたいな二者択一に落ち込んでいる世界に「あたらしい希望」を提示するんですよ。

その道でなら、この記事の冒頭で紹介したような私のクライアントの経営者のような「日本社会の一番良い部分」を、堂々と世界に提示し貢献していく道が開けるし、そうやって「根幹レベルでの自分たちへの自信」が経済パフォーマンスに反映されるようになれば、「構造改革」的なものへのアレルギーも減るし、「国際的に問題化するレベルの”右傾化”」なども必要自体がなくなって適切なレベルに落ち着くでしょう。

あらゆるゼロイチの極論の暴走が、超絶大富豪とスラム街を果てしなく生み出していく時代の混乱を、高精細なメッシュの豊かな密度感のあるサスペンションで柔らかく受け止めること、そして「適温のお風呂」を提示していくこと、それが今後の日本の「使命」だし「戦略」だし、いやらしい言い方をすれば「勝ちパターン」ということになるでしょう。

そのためには、

日本のナショナリスト
vs 
(中国のナショナリスト+韓国のナショナリスト+日本のリベラル+韓国のリベラル+中国のリベラル)の大連合軍

の状態から

日本のナショナリストvs国際連帯したリベラル
韓国のナショナリストvs国際連帯したリベラル
中国のナショナリストvs国際連帯したリベラル

の状態への転換が必要なんですよね。

変な話ですが後者のようになると、敵の敵は味方・・・的な感じでの日中韓のナショナリスト同士の共感関係もほのかに生まれつつ、反政府勢力が孤立無援ゆえに過激になりすぎて中国共産党の弾圧を余計に誘発してしまう中国国内の状況も、「漸進的な社会のオープン化」に向かわせることができるかもしれません。

そういう全体のバランス構造の中で粛々と進む調整過程が、欧米人の悪癖的な「ゼロイチの極論主義」に「中庸の徳」のような東アジア的の調和で補完するんだ・・・というようなストーリーになってくれば、お互いをグズグズ傷つけあうような喧嘩を辞めて自分たちなりのやり方に対するプライドをそれぞれの国民が別の回路で持てるようにもなるでしょう。

そういう流れ全体をリードできることが、「朝日新聞派」の日本人には求められてるんですよ。

それはあなたがたならできるし、他の人にはなかなかできないし、みんなが望んでいること・・・なのにやろうとしてないで小さな言い訳に終始してるから叩かれてるわけです。

と、いうわけで!

とりあえず、12月4日出る私の最新作、『「アメリカの時代」の終焉に、生まれ変わる日本』を読みましょう。(発売日前ですが予約できます!)

朝日新聞批判にかぎらず、20世紀型のリベラルのありようが機能不全状態にあることは多くの人が気づいているはずです。その「行き場のない思い」を全力で受け止めてくれる局面が、本記事のような方向性にはありますよ。

万国のリベラリストよ、団結せよ!

今後も、この「あたらしいリベラル」についてのブログ記事は続いていく予定ですが、最近は私も忙しくなってしまって、そうしょっちゅうはアップできないので、更新情報は、ツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
・ツイッター→@keizokuramoto
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