民意を問うのなら、いっそのこと国民投票にしたら?

松本 徹三

安倍首相による今回の解散総選挙は「争点のない選挙」「利己的な選挙」という批判が多い。擁護する人たちは、「増税延期」と「アベノミクスの成否」について色々な人が色々に批判するだろうから、これに先手を打って「民意」を問うことに意味があると言うが、これに素直に頷くわけにはいかない事は、前々回の記事でも書いた。「民意を問う」だけの為なら、他にも手段があるのではないかと思えてならないからだ。


しかしながら、現行制度はこれを可能にしているのだから、非難してみても仕方のないことだ。「現行制度の盲点をつき、野党の不意を打つことによって政権基盤をより一層強固にし、アベノミクスへの批判を抑えて行くところまで行くと共に、あわよくば『自分の考える通りの改憲』に必要な三分の二以上の議席をこの選挙で一気に確保しよう」と安倍首相が考えたのは明らかだが、このようなやり方は道義的には問題であっても、政治戦略としてはよく考えられたものであり、「素早い決断でこのチャンスをものにしようとした安倍首相は、政治家としてはなかなかなものだ(以前に比べれば随分成長した)」と率直に認めた方がよいだろう。

しかし、これを機会に、現行制度の問題点をもう一度見直し、「国会議員の質を高めるためにはどうすれば良いか」「少しでもより民意に即した政治が行われるようにするにはどうすればよいか」を考えてみる事は意味があるだろう。その意味で、今回の安倍首相の解散は、現行制度の見直しに良い機会を与えてくれたとも言える。

もっとも、「民意とは何か? 後先の事も考えない民衆の身勝手で刹那的な欲求に過ぎないのではないか? そんなものにいちいち迎合していたら将来大きな災いを招く事になるのではないか?」という考えもあるから、この事を考えるからには、相当深く考える必要がある。

そもそも、直接民主政治が行われていた古代ギリシャの時代から、「衆愚政治」の弊害については多くが語られており、その反対の極としてプラトンによる「哲人政治」の提言もあった。「哲人政治」の理念は現代のSF作家にも受け継がれ、欠点の多い人間たちに代わって、公正無私で且つ正確な得失計算が出来るコンピューターに政治を任せた未来社会が描かれることもある。

しかし、現在の世界における大多数の人たちのコンセンサスは、「非効率で欠陥も多い民主主義であっても、独裁制などの他の政治形態よりはマシ」ということであり、現実に世界中の殆どの国が少なくとも建前としては「民主主義」を謳っている。問題は、このように万人に支持された「民主主義の理念」というものを、どのような形で正しく具現するのかという事だ。

また、それ以前の問題として、「実質的な民主主義」と「建前だけの民主主義」を区別することも必要だ。例えば、現在の香港は「実質的な一党独裁体制下にある中国」の政治体制によって支配されているので、学生たちが如何に反対を叫ぼうと、北京政府が選挙の対象になる候補者の条件を変える事に同意しない限りは、「民主主義」は建前上のものだけに留まるだろう。

経済が一定のレベルに達するまでは、民主主義では却って上手くいかず、一党独裁体制の方が上手くいくという事もある程度事実だし、現実に韓国や台湾のようにそういうやり方で急速な経済発展を遂げた例もあるが、その事をここで論じるのは今回の記事の趣旨ではない。従って、ここでは、取り敢えず「成熟した民主主義国の政治体制」のみを議論の対象とすることにしたい。

さて、民主主義には、個々の政治的な決定を一つ一つ国民投票にかけて決定する「直接民主制」と、国民は選挙で大統領や国会議員を選び、彼等に政治を委ねる「間接民主制」があるが、政治的に決定しなければならない事は多岐にわたる為、前者は現実的とは言えず、従って、現在は殆どの国が後者を採用している。しかし、「重要事項は国民投票にかける」という事はしばしば行われているから、「直接民主制」の理念が完全に否定されているわけではない。

また、現在の主要各国の政治体制を見ると、米国のように大統領制のところと、日本や英国のように議院内閣制のところに大きく分かれているが、国会(議院)が立法府であり、為政者(大統領や首相)は国会で定められた法律の枠内でしか政治が出来ない事に変わりはない。

議院内閣制の日本でも、二院制をとっているので、参議院の多数派が首相を選んだ衆議院の多数派と異なる時には、所謂「ねじれ現象」が生じ、国政が停滞するという問題があった。米国のように大統領制をとる国では、本来はこのような「ねじれ現象」はもっと頻発してもおかしくない理屈だ。現実に、先の中間選挙で大敗した民主党は、残る2年間の大統領の任期中、妥協に妥協を重ねなければならず、苦しい政局運営を迫られることになる。こういう事が本当に国民の為に良いかどうかは、極めて疑問だ。

議院内閣制の場合は、大統領制とは異なり、原則としてその時点での国会の多数派でなければ政権を握れないのだから、二院制さえやめてしまえばこのような状態にはならず、その方が良いとも言える。しかし、首相が目まぐるしく変わり、「長期的に整合性の取れた政策が遂行できない」という問題も生じるから、良いとばかりも言えない。

さて、ここで本題に入るが、今回のように首相の一存で議会がいつでも解散できる法制を持った国は滅多にないと思う。また、首相の解散権は、本来は国会で内閣不信任決議が可決された時の為に考えられたものであり、それなら筋が通るが、今回のようなやり方は筋違いだと考えるのが常識的だ。費用の事もそうだが、それ以上に、国会議員に不必要に大きな負担をかけるからだ。国会議員には国政の事をもっとよく勉強して欲しいから、選挙のことにばかりかまけていて欲しくない。

選挙に負ければ全てを失う政治家稼業だから、心ならずも選挙民に迎合する甘い事を言い、その一方で、本来の国政には全く関係のない「面倒見の良さ」を売り込む必要があるのは理解するが、選挙の回数が多ければ多いほど、こういう事に時間を取られ事が多くなる。だから、選挙の数は少ない方がよい。「政治とカネ」の問題がいつも出てくるのも、選挙には金がかかるからであり、選挙の回数が少なくなる方が、この問題も少なくなるのではないだろうか?

一方ではこういう事もある。有権者の側からすれば、選挙ではある人を選んだとしても、「その人や、その人が所属する党が推進する(或いは支持する)全ての政策に賛成だと解釈されては困る」という事もある筈だ。例えば、アベノミクスには賛成だが集団的自衛権には反対という人はどうすればよいのか? 「生活が第一」だから手厚い社会保障政策を進めてほしいが、「その為にも原発は稼働させるべき」と考えている人はどうすればよいのか?

もし仮に、民主主義の理想像が「全ての政策が国民の過半数の支持を受けるような政治を行う事」だと考えるなら、そういう考えに忠実な為政者であれば、国民の意見が大きく割れそうな重要な政策については、誰から求められずとも、「念の為、賛否を問う国民投票を行い、その結果に従う」という方策を取るべきではないだろうか? 

また、その一方で、もし時の為政者が「自分はかつての選挙で国民に選ばれたのだ」という事だけを根拠に、「国民の多数は反対する筈」と思われるような政策についても、あくまで強引に遂行しようとするなら、野党は一致して「その件を国民投票にかける」事に全力を投入するべきだし、何等かの法制度がその道を開いているべきではないだろうか?

そういう考え方をベースにして、今回の選挙につき、「信を問うだけなら、国民投票の方が良いのでは?」という趣旨のことを言ったら、何人かの人から「それでも費用は同じ位かかる」と言われた。しかし、私はそうは思わない。

今回のケースを例に取るなら、投票の対象を

  1. アベノミクスを徹底的にやり遂げるか、この時点で修正して方向転換する方がよいか?(修正の方策については野党に提案義務がある)
  2. 三党合意に反することにはなるが、増税は延期して、このような方法で行いたいが、それでよいか?(この具体案は与党側に提案義務がある)

という二点のみに絞れば、相当低コストで国民投票を行うことができるのではないだろうか?

各党やジャーナリストや評論家が、論点を明確にしながら有権者を啓発するのにも、有権者が最終的にどちらに賛成するかを決めるのにも、ずっと少ない時間とコストで出来る筈だ。投票所の設営や開票作業にはそれなりの費用はかかるだろうが、ネットでの投票も可能とするなら、そんなに大きな費用はかけずに、有意義な「民意(Informed decision)の確認」が出来ると思う。

具体的には、当然、その為の何らかのルールを作らなければならないが、それについての私の提案は下記の通りだ。

まず、その時点での為政者である与党は、いつでも「国民投票」を提案できるものとするべきだ。但し、それによって賛否が明確になれば、その結果に従って政策を実行せねばならない。

逆に野党の提案には厳しい条件を付けるべきだ。そうしなければ、野党は何でもかんでも「国民投票」に持ち込もうとする筈だからだ。具体的には「国会議員合計何人以上の共同提案でなければ受理できない」とか「野党の国会議員一人につき、一年に一回しか共同提案者になれない」とかの条件を付けるのが妥当であると思う(その他にも「国民投票を求める一定数の国民の署名」を求める方法もあるかもしれない)。

以上、要するに、私が言いたいのは、現行の間接民主主義の手法に、若干直接民主主義の手法を加えて、現在の国会議員のあり方や、国会での議決のあり方に、たとえ若干でも改善を加えるべきだという事だ。

尤も、このような改革案を誰が推進してくれるかは、全く分からない。「明らかに違憲」とされている一票の格差の是正すらもが、何時まで経ってもなされていない現状を見るにつけても、現役の国会議員や総理大臣は、何よりも自らの立場を守る方向でしか行動してくれそうにはないからだ。

であれば、改善は小刻みにするのではなく、種々の懸案事項をまとめて俎上にあげて、一気に行ってしまった方がよいような気がする。先ず、現在の「二院制」は、殆ど意味がないからやめてしまって「一院制」にするか、もし維持するとすれば、衆議院は全て中選挙区制(多くの死票が出る小選挙区制の問題点は既に明らか)、参議院は全て比例代表制にする等の方法で、メリハリをつけるべきだ。

「二院制」を維持しながら、選挙方法を変えることによって両院の性格を大きく変えるという改革案は、「地方の事を親身になってやってくれる人」(悪く言えば「自分の利害をはっきりと代表してくれる人」)には、衆議院議員になって貰い、長期的観点から国益を守ってくれそうな党には、参議院で活躍して貰うという意味があるので、バランスが良く、有権者側にも納得して貰えるだろう。