ローマ法王フランシスコが信頼を寄せるオスカー・ロドリゲス・マラディアガ枢機卿(Oscar Rodriguez Maradiaga)は12月2日、バチカン・インサイダーとのインタビューの中で「家庭問題を担当するバチカン聖省の長官は将来、結婚した夫婦が担当するようになるかもしれない。聖省長官が枢機卿や司教でなければならない必要性はないからだ」と述べたという。
同枢機卿はバチカン機構改革を進める枢機卿会議の調停役を担っている人物だ。フランシスコ法王が南米時代から知っている高位聖職者だ。その枢機卿が「結婚した夫婦が家庭問題担当の責任者になれる」と述べたわけだ。決して、メディア受けを狙った発言ではないのだ。
枢機卿の発言をどのように解釈できるだろうか。ハッキリしている点は、婚姻しない枢機卿、司教たちが家庭問題を扱うことは理想的でない、という枢機卿の認識が発言の背景にあることは間違いないだろう。単刀直入にいえば、独身制下にある高位聖職者は家庭問題をマネージメントする知恵も経験もない、ということを認めた正直な告白だ。
ちなみに、バチカンは10月5日から19日、特別世界司教会議(シノドス)を開催し、「福音宣教からみた家庭司牧の挑戦」という標題を掲げ、家庭問題について集中的協議を行ったばかりだ。
それでは、ローマ・カトリック教会は聖職者の独身制になぜこれまで固守してきたのか。答えは非常にあいまいだ。「イエスがそうであったように」というだけだ。イエスが結婚しなかったから、われわれも結婚しない、というだけだ。しかし、聖職者の独身制は教義(ドグマ)ではない。学者法王と呼ばれた前法王べネディクト16世ははっきりと「独身制は教会の教義ではない。伝統だ」と説明している。伝統ならば、時代の動向に従って改正や破棄は可能だ。
バチカンのナンバー2、ピエトロ・パロリン国務省長官は昨年、べネズエラ日刊紙の質問に答え、「カトリック教会聖職者の独身制は教義ではなく、教会の伝統に過ぎない。だから見直しは可能だ」と述べ、欧州メディアで大きく報道されたことがある
最近もイエスが生前結婚していたという聖典が発見されたと報道され、話題を呼んだばかりだ。その度、バチカンはパニック反応を見せ、イエス結婚説を即否定する。イエスの結婚説を認めれば、教会2000年の伝統が一瞬に崩れ落ちてしまうからだ。
キリスト教史を振り返ると、1651年のオスナブリュクの公会議の報告の中で、当時の多くの聖職者たちは特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。カトリック教会の現行の独身制は1139年の第2ラテラン公会議に遡る。聖職者に子供が生まれれば、遺産相続問題が生じる。それを回避し、教会の財産を保護する経済的理由が(聖職者の独身制の)背景にあったという。
マラディアガ枢機卿の「結婚した夫婦が将来、家庭問題担当聖省の責任者に就任することも考えられる」という発言は、単なる聖職者の独身制廃止論というより、バチカン機構の改革の枠組みの中で示唆した内容だけに非常に現実的だ。その意味から、枢機卿の発言は注目されるわけだ。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年12月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。