続・感謝する国、しない国 --- 井本 省吾

アゴラ

昨日の続編。日本のODA(政府開発援助)について、外務省をはじめとする日本政府の対応については批判が少なくない。

気前良くばらまく割に、各国から感謝されることなく、国益から考えて非効率だ。中国に巨額の経済援助をして、感謝もされず、反日機運が高まり、軍事力の拡大に使われ、日本に脅威を与えている。外務省の無能ぶりにあきれる、といった批判だ。


私の中にもそう批判する気持ちがあるが、日本のODAにも良い点、成果は少なくない。その点は率直に認めるべきだ。昨日紹介した「日本人になりたいヨーロッパ人」(片野優、須貝典子著、宝島社刊)を読んで、そう思った。

例えば、セルビア。旧ユーゴ紛争の傷跡が残る首都ベオグラードは貧しいインフラ、交通事情のもと、お蔵入り寸前の中古のバス、市電があふれている。その中にさっそうと走る新品のバスが登場した。車体の横と後ろに「日本からの寄付」という文字とセルビアの国旗が描かれ、誰もが日本からの贈り物と知っている。セルビアでの評判は高い。

こうした援助物資は欧米からも贈られてくるが、セルビア人は言う。

<欧米諸国は「ギブ&テイク」の精神なので気が抜けないが、日本だけは「無償支援」で見返りを期待しないのが素晴らしい>

外務省の支援は、欧米のようなしたたかなギブ&テイクの精神がないので、感謝もされず、国益に貢献していない。そう批判され、私もそう思ってきた。

しかし、本当は「見返りを期待しない」精神の方が素晴らしい。しかし、そのことは日本人にしかわからない。だから、しっかりギブ&テイクを考えよと言ってきたが、実はそういう精神を持っている国民も多いということだ。

その証拠に東日本大震災が起こったとき、セルビア人は苦しい経済事情の中で「大好きな日本人のために」と小さな義捐金を積み上げ、送金額は2億円。小さな国なのに、なんと義捐金はヨーロッパで一番多かったという。

ボスニア・ヘルツェゴビナも同じだ。ボスニアの戦争で傷んだ国土再建のために、日本政府は日の丸がデザインされた赤いバスを寄付するなど、戦後復興支援に多大の支援金を拠出した。

ボスニア人はそのことを良く知っていて、現地に赴いた日本人は「日本ほど我々を支援してくれる国はない」と感謝されることが多いという。

本書の筆者の経験では目的地まで8時間もかかる満員のバスに乗ったとき、自分が日本人と知ると、座っていた若者が席を立って譲ってくれたという。長い道中なので何度か「交代しましょう」と言ったが、最後まで日本人の自分を立たせることはなかったという。

また、車を運転して田舎道でパンクし、困っていると、対向車線を走ってきた1台の車がピタリと路肩に止まった。3人の青年が降りてきて一言「日本人か?」と聞いた。「ハイ」と答えると、瞬く間にタイヤ交換を済ませ、お礼も受け取らずにさっそうと去って行った。

読んでいてODAの力、日本の先人の努力に感謝したい気持ちになってくる。世界は善意の応酬が生きているのだとも。

ただし、外務省はじめ日本政府は、日本の支援が具体的にその国の人々に知れ渡るよう相手政府に求めることは不可欠だろう。日本の支援内容が伝わらなければ、こうした感謝も親善交流も生まれない。中国のように、国民に日本の経済援助を教えないことが、反日感情をいたずらに助長させている。

かの国は反日政策のために意図的に日本の善意を知らせないようにしているのかも知れないが、くどいようでも、国民に伝えることを要求する努力は怠るべきではない。

そういう要求を「はしたない」と思うべきではない。伝えることで日本お善意がわかり、庶民レベルでの親善、友好の気持ちを育むからだ。

日本の援助の情報を衆知徹底しなければ、今後援助はしないと言うくらいでちょうどいい。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2014年12月3日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。