日本社会に野党は存在しえない

小幡 績

選挙における最大のレッスンは、日本には野党は存在しえない、ということだ。

公明党は明示的に与党だが、かつての55年体制の社会党も、野党という名の与党であり、既存の権力の枠組みに組み込まれていた。

単に、権力を狙わない脇役に徹した与党だったのだ。

だから、今後も、野党は存在しえない。

野党になった瞬間に、その政党は終わる。

それを一番よく知っていたのは自民党だ。


民主党による政権交代が起こった時、自民党が恐れたのは、野党時代が続くことだ。自民党は与党であり、野党ではありえない。地方組織、事務組織、すべての組織が与党であることを前提に組み立てられており、野党であることに耐えられないからだ。

新生党における失敗を民主党は繰り返した。

彼らが権力を握るためには、野党になりえない自民党を野党であり続けさせることが最優先課題であり、そのためには、政策などは二の次で、与党(連合)を何が何でも維持することだけが重要だった。

しかし、それに失敗した。

選挙を繰り返せば、自民党が必ず浮上してくる。

なぜなら、自民党だけが組織的な選挙戦を戦えるからだ。

政党の中で、組織として体をなしているのは、公明党と共産党を除けば、自民党しかないからだ。

ほかの政党は、すべて、都市部の世論、という政治の素人の気まぐれのムードに依存することでしか、勝てないからだ。風がない場合には、ボランティア的な、いわゆる勝手連に依存するしかなく、個別にこれで勝利する逸材もいるが、広がりはなく、この力も一時的、その場しのぎであり、ある意味、一度勝ってしまうと、むしろこれで勝ち続けるのは難しくなる。

一部、なんらかの背景を下に、個人商店として当選を続けられる場合もあるが、それでは、政党としての広がりが持てず、組織的な勢力になりえない。だから、政権をとることはできないのだ。

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この組織の源泉は、地方議員だ。市町村議会議員がいて、県議会議員がいて、それぞれのスタッフがいる。彼らが、地元の核となってネットワークを持っている。ネットワークというよりも、地域社会に根付いていると言った方がいい。

民主党の地方議員もいるが、議員になるだけでは意味がない。自民党系の地方議員は、地方の名士が議員という名前に代わり、給与ももらうようになっただけのことであり、かつては選挙なしに、相続していた村長という地位を、選挙というプロセスを踏むようになっただけのことであり、選挙があってもなくても、同じなのだ。

だから、彼らはネットワークであり、組織であり、地域社会そのものである。一方、野党の地方議員は、ただの一人の議員に過ぎないのだ。

これが、日常的にも、選挙の時も、組織として動員される。だから、国会議員あるいは候補は、この組織に乗っかればいい。

逆に言うと、そういう組織がないと、トップが自らどぶ板回りをおぜん立てなしに行う。大物政治家がどぶ板回りというが、あれは、お膳立てが出来ているところを回るだけだから、効率が良い。しかし、その組織あるいはネットワーク、あるいは地域社会のつてがないと、回ること自体が大変だし、効率的という次元まで話が行かない。それでも、一度当選すれば、認知はされるし、バックグラウンドはあるから、少しずつ機能していく。

与党であることが、日本の地域社会には絶対的に必要だ。

なぜなら、地域社会では、全員与党だからだ。

メインストリームであろうがなかろうが、共同体はともに生きていく。村の生活で、野党ということはあり得ない。ナンバーワンになれないナンバーツーの家柄であり続けるだけのことだ。あるいは、ナンバーワン候補だが、それが事件でもない限り回ってこない、という役回りをし続けるだけのことであり、野党ではない。

村は一体となって、運命共同体であり、意見が多少違っても、まとまって、一体となって生きていくしかないのだ。

野党になるということは、差別されるということであり、空気が読めないということであり、いじめの対象となるということだ。

日本社会においては野党は存在しないのだ。

だから、コーポレートガバナンスも、社外取締役も、社外監査も、本質的には存在しえないのだ。

野党なしという前提で、与党の中で牽制をし、変なことが起きない仕組みを作る必要があるのだ。

オーナー一族に対する番頭制度であり、婿養子システムなのだ。

したがって、政治においても、野党に期待できないのではなく、我々は野党というものを認めていないのだ。

意味が分からないのだ。

存在意義を認識したことがないのだ。

だから、今後も、政権交代というのは、熱病にうなされたり、あるいは、大きな真の危機が起きたときに、起こるだろうし、必要とされるだろう。

それは、明治維新のような、真の危機、体制転換が起きなければいけないときにだけ起こるものであり、それこそ、1000年に一度のこと、大化の改新と明治維新だけなのだ。

戦後ですら、あれは大きな修正であって、体制転換ではなかったのだ。

したがって、一度、与党体制が確立すれば、それは長期に継続するのが、日本社会としては自然なことであり、二大政党制がなじまないだけでなく、多党連立制的なものも、欧州と異なり、持続するのは無理だ。

そして、持続するためには、地域に根付いた組織が必要であり、それは、現時点では自民党、公明党、共産党のみであり、浮動層は、気まぐれでほかに行くとしても、結局は、それらに飽きて、与党に戻ってくるのだ。共産党の方が、与党である分、ましなのだ。

ただ、金融政策をはじめ経済政策においては、行き詰れば、政治や外交や社会と異なり、細かく、日常的に転換が必要となる。これが、与党の枠組みで起こることが必要だ。

1990年代末に、金融国会と呼ばれた時期には、ある意味それが実現したのであり、小泉政権が本質的に何らかの転換を起こしたかどうか意図したかどうかはともかく、その体裁を整えて、勝利したのだ。

今後も、そのような形のマイナーな政策転換を準備しておく必要があるが、それは、本質的な意味での政権交代の形とはならないのではないか。