商品を選ぶ際の「飾らない若者」の基準とは --- 岡本 裕明

アゴラ

初めて入るレストランでメニューを渡されたものの難しそうなカタカナの名前が並んでいます。そんな時、サーバーさんに「何がお勧めですか?」と聞けば「当店では…」と答えるのはもう時代遅れかもしれません。

「私が食べた限りではこれとこれはすごくおいしかったです!」と言われれれば「ホント、じゃあ、それお願いします。」となりつつありませんか? あるいは隣の席で注文したものが運ばれてきたとき「旨そう!」と思わず、「僕もお願いします。」と言ってしまうのは「孤独のグルメ」の五郎さんだけではありません。


先日、ギフトで高級イヤホンを買いにBOSEの専門店に行ったところ、様々な価格が並んでいます。視聴も出来るのですが、ギフトだからこだわり方が難しい所です。そこに店員さんが「この値段の高い商品は飛行機などで周りのノイズを聞きたくない人の為に作っています。」「これは運動しながら使って汗が出ても大丈夫なんですよ。私はこれを使っています。すごくいいですよ。」と言われ、差し上げる相手の用途を頭に浮かべながらすんなり欲しいものが決まりました。その際、使った人の実感のコメントはパワフルだと改めて感じました。

1年前、商品に不具合があり苦戦した運動用衣料のルルレモン。このところ復活の兆しでありますが、この店に行くと一種の宗教団体に入った気すらします。ルルレモンの商品を上から下まで身に着け、いまからエクササイズでもやるのかという出で立ちのスタッフが運動のタイプ、使い方や目的で店員さんの実感をベースに親身にガイドしてくれます。「ほら、こんなふうに着こなすんですよ」とリアルマネキンを目の前にすればなるほどねぇ、と頷いてしまいます。

どこのレストランに行こうか、と考える時、もはやガイドブックではなく、行ったことある人達が書きこむレビューが重視されているのではないでしょうか? そういう私も知らない店についてはさっと皆さんの書き込みをチェックし、その判断基準にさせてもらっています。同じことは書籍でもそうでしょう。いわゆるマスコミや雑誌に紹介される場合、どうしても一定の「引力」が存在します。例えばバンクーバーの無料誌に出てくるお勧めの店や独自アワード受賞の店は必ず限られたソースからしか出てきません。それは広告主であったりするわけで、かつてそれを信じてレストランを選択していた人たちからの信用を失った可能性は否定できません。

自動車専門家が書く新車レビュー。一般的に良いことが書かれています。理由はその車のメーカーとの関係があるからで、辛辣なことを書けば仕事が回ってこないのであります。当地の新聞で「2015年、素晴らしい車だけど実に醜い(デザインの)車ベスト10」なんていう特集は日本ではなかなかお目にかかれるものではありません。ちなみに6つが日本車ですが。

今、若者たちは売る側のセールストークからみんなの意見を聞こうとする流れに変わってきています。売る側のトークとはその商品のプラスの部分のみを羅列することが主体で決して短所を取り上げることはありません。デパートなど売上重視の仕組みの店ではより高いものを売りたがるのですが、自分の求めている品質や機能と売り手が押し付けるその商品にギャップはないでしょうか? 家電商品でも膨大な選択肢の中から自分の目的にあったものを探し出すことが簡単にできたら嬉しいものです。ところが売り手は利益率などを考え、店側の一押しを勧めたりすることにうんざりしてきていませんか?

それは一昔前に流行った「あの人が持つから私も持つ」というスタイルから「今度、こういうところに行くのでこういう洋服、バック、アクセサリーが欲しい」というきちんとした目的意識を持つようになってきたともいるのです。

これもやはりSNSや情報化が格段に進んだ結果の消費行動の変化でありましょう。大手のネット販売のサイトに行けば「こんな商品も買っています」が出てきますが、これはレビューこそないけれど消費者の行動を統計的に拾い出したパタンであるともいえ、ネットショッピングが論理的でピンポイントで欲しいものを推薦してくれて楽しくなるとも言えます。

飾らない若者というタイトルをつけたのは自分の目的意識を持った消費活動が現代の主流となりつつあるとの意であります。20数年も景気が悪いと言われ続けた現代の若者は悪い中でどうエンジョイしていくのか、解決策を見出したとも言えます。では我々年長組の責任とは「失われた20年」とか「景気が悪い」と言い続け過ぎたのかもしれません。何をもって悪いと言い続けたのかと言えば80年代後半の踊り狂った時代との比較を未だにしているという事であります。ところがその間に戦後最長の好景気の時代(2002年から07年)もあったのにそれをすっかり無視してしまったことには世の中の反省を促すところでもあるのでしょう。

時代が変われば常識もスタンダードも変ることを素直に認めなくてはいけないということです。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年12月21日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。