狼を愛する天才ピアニストの世界 --- 長谷川 良

アゴラ

当地では12月26日は「聖ステファノの日」(Stefanitag)だった。クリスマスが幕を閉じた直後の祝日で、キリスト教会の最初の殉教者聖ステファノを祝う日だ(降誕節の一日)。

平信者にとって、クリスマス・シーンで溜まったストレスを解消し、平常な日々に戻るための準備の日のような感じもする。幸い、今年は「聖ステファノの日」後の27日、28日は土、日曜日だから、特別な休暇を取らなくても最低4日間は休日を楽しめるわけだ。


26日は同時に「新聞休刊日」だ。ベットに寝転んで新聞を読むといった贅沢な時を過ごすことはできない。ラップトップのスイッチをいれて見るのも億劫だったので、週刊誌シュピーゲル(12月20日号)の続きをコーヒーを飲みながら読み出したら、面白いインタビュー記事に出立った。天才ピアニストといわれるフランスのエレーヌ・グリモーさん(Helene Grimaud)との4頁に及ぶインタビュー記事だ。グリモーさんが語った内容は音楽の世界には門外漢の当方にも非情に為になった。

ピアニストは先ず、演奏する曲を完全に弾きこなすため時間を投入する。毎日、数時間を投入する。グリモーさん(45)の説明によると、技術の Automatisierung(自動化)を達成した後、感情移入(Gefuhle)が可能となる自由(Freiheit)が生まれてくるという。

換言すれば、楽譜など見ず、別の処を見ていても肝心の指は楽譜を完全にフォローする。その境地に達して初めて自身の感情移入が可能な余地が生まれてくるという。曲に対する演奏者の独自の解釈も可能となるわけだ。

技術の自動化─自由─感情移入という順序だろうか。この一連のプロセスをこなすために演奏者は練習を繰り返す。指が完全に自動的に動きだせるようになれば、如何なる大舞台でも緊張せず、指は自動的に動き、演奏を続けることができる、というわけだ。

音楽を含め芸術の世界では個性が重要視されるが、必要な技術の自動化なくして自分の個性や感情を導入する自由はないというわけだろう。スポーツの世界でも体が自然に動くまで練習を繰り返す。体が自動的に反応しない限り、大舞台で良い成績を残すことはできない。演奏者が感情移入を先行し、技術がそれに伴わない場合、その演奏は成功しないのと同じだ。

当方は漠然とだが、演奏者の個性、独自の解釈をより重要視し、退屈な基本技術のマスターは個性を殺すだけだと考えていたが、狼を養育し、ブラームスを愛するグリキーさんの答えは全く逆だった。感情を表現するためにその基本となる技術を完全にマスターしなければならないわけだ。

著名なピアニストだが動物学を研究する学者の側面をも持つグリモーさんとの会見記事はベットに寝ころびながら読むには余りにも刺激的だった。何事でも基本のマスターが不可欠、ということを改めて教えられた次第だ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年12月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。