中国政府は胡錦濤前国家主席の側近の令計画氏を「重大な規律違反」で調査すると発表しました。習近平国家主席体制の粛清第三弾となります。つまり、元重慶市トップの薄煕来氏、前政治局常務委員の周永康氏に続くわけですが、共青団を追いやるその姿が腐敗撲滅という名のもとの勢力争いに過ぎないとまでしたら言い過ぎでしょうか? しかし、私にはそう見えます。
それは戦後の中国のあり方を見てもその一部を垣間見ることができます。国民党を率いた蒋介石は戦後、不人気もたたり、1949年共産党の毛沢東との戦いに敗れます。中国の建国を果たしたあとは毛氏崇拝が高じて文化大革命に進みます。その際4人組とされた人たちは結局毛氏の後の自分の勢力とポジションが欲しかっただけであって毛氏崇拝を掲げながらも態度は自分の権益を作り、守ろうとしたことが文化大革命の書籍にはあらかた記されています。そこは権力と勢力を中心とした人と人の争いの連続であります。
今回、習近平氏は毛沢東型の地位を作るのではないか、とされています。事実、当初は習近平氏が正しい意味で腐敗を撲滅させ、粛清するという風に見ておりました。国民向けの政治家としての顔としては高い支持を得ているはずですが、真意は勢力争いという別の顔で今やそれが表の顔になりつつあるところに極めて大きな懸念を感じます。
早稲田大学の本村凌二教授は1840年のアヘン戦争から1990年代までを失われた150年と称していますが、私はひょっとしたらその150年は今、170年ぐらいに延びていて更に続くのではないか、という気がしています。
習近平氏の中国は第一幕が2017年までであって、習体制が盤石であれば第二幕に入ることができます。ただし、第三幕はありません。つまり国家主席は最大10年であって習近平体制が延々と続く仕組みにはなりません。となれば、選出のたびに中国の政治は勢力争いで国策や外交どころではなくなるわけであります。
では今日のお題の「中国は既にピークを過ぎたのか」でありますが、単刀直入に言えば今の中国においては過ぎた可能性はあります。まず、経済的には世界の工場としての中国が機能し、上海万博、北京オリンピックという二大イベントを取り込み、GDP世界第二位に躍進したその力を見せつけたところまでは素晴らしい勢いでした。
ところがその後、不動産、及び前倒しの公共投資に走り、非常にアンバランスで不健全な地方都市経済を生み出しました。更には上海を中心とした成功者と農村部に代表される躍進した中国に乗れない地方出身者の格差は縮むどころか、拡大しております。本来の共産主義はどこに行ったのか、ということになっています。
では、経済的発展は今後、どうなるのか、といえば自然な経済成長よりはるかに前倒しした公共投資と不動産投資は負の遺産となりまだまだ簡単に解消しないはずであります。一時期言われてた崩壊の危機からは遠くなった気がしますが、中国復権となるかどうかは微妙なところにあります。
なぜならば世の中の進展スピードはより加速度がつき、経済の繁栄がひとところに留まる期間がだんだん短くなっているという特性を考えれば実質的にはモノづくり中国の時代は過ぎ去り、東南アジアから着実にインドに向かっているようにみえるのです(但し、インドがその役割を担えるか、と言われれば現状では無理にみえますが)。
その間、中国は派閥争いというものに大変な労力を注ぎ込まねばならず、本来最優先しなくてはいけない負の経済の清算、GDP世界第二位の国として研究開発を通じて世界水準との戦い、世界に通じる品質とネームバリューの構築などいろいろあるはずです。しかし、一般的に中国の人が求めるものは果実のみ(=お金)であり、その間の労力や苦労や省略する傾向が強いのが気になっております。
中国の歴史を振り返っても結局出てくるのは民族間の戦いであります。過去延々とその戦いをしてきた民族が一丸となって一つのことにベクトルを向けることができるのか、といえば簡単に頷けないでしょう。ここに中国の難しさが潜んでいるのだろうと思います。
習近平国家主席が狡猾であればあるほどベクトルはバラバラになるともいえるのではないでしょうか?
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年12月27日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。