ヘッジファンドは、市場リスクをヘッジして価格の非効率をとらえるもの、もしくは、市場リスクのないところで市場リスク以外の賭けを行うもの、このどちらかである。正当なヘッジファンドの戦略は、全て、どちらかに分類できる。
しかし、ヘッジファンド戦略が、きちんとした定義のなかに収まるということと、存在する全てのヘッジファンドが、あるいは自称ヘッジファンドが、そのような定義の要件を充足しているかどうかは、異なる問題である。
例えば、転換社債裁定、合併裁定、ディストレスト、これらが、戦略的に優れたものであることはわかるが、金額に換算したときに、一体、どれほどの機会が常時存在しているものであろうか。機会を厳密に定義し、投資の完成度を追求すればするほど、投資できる金額が小さくなるのは、自明であろう。
それに対して、ヘッジファンドなるものの金額は、大きすぎるのではあるまいか。つまり、ヘッジファンドなるものには、厳密に定義されたヘッジファンドではないものも、たくさん含んでいると考えざるを得ないのではないか。
狭く厳格にヘッジファンドを定義すると、ヘッジファンドでなくなるヘッジファンドがでてくる。そのような、いわばヘッジファンド的なものにも、投資価値のあるものも含むのであろうか。それよりも、そのようなものにも、真のヘッジファンドに共通するものはあるのだろうか。単にファンドという共通性だけではないだろうか。
ファンドというのは、本来は、投資信託と同じことで、多数の投資家の資金を合同して運用するための技術的な工夫にすぎない。ファンドという何か特別の投資の方法があるわけではない。しかし、世の中では、ファンドというと、何か特殊なものを、しかも人によっては、何か胡散臭いものを、想像されことが多いようである。
ハゲタカとか、乗っ取りとか、価格操縦とか、冒険的投機とか、法規制の潜脱行為とか、何か、そういうことと誤解される人もいるのであろう。しかし、事実として、そのような正規な投資の枠組みから逸脱したようなものも、形式的にファンドを用いればファンドには違いないのだから、困ったものではある。
繰り返すが、ファンドというのは、合同運用の形式にすぎないのであって、それ自体、運用戦略上の特別の意味をもたないものです。ましてや、反社会的な行為を象徴するようなものでは、決してないのである。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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