「新しいインターナショナル」は可能か

池田 信夫

人質事件に対する安倍政権の対応は常識的なもので、テロリストに「敵対するな」という朝日新聞を初めとする平和ボケ集団は論じるにも値しない。しかし今回の事件は、グローバル化とは何かという問題をあらためて提起したと思う。


国際政治を共通利益ゲーム(囚人のジレンマとチキン・ゲームを含む)と考えると、きのうの記事でも書いたように、ゲームの参加者の共通利益が十分大きい場合には、効率的で安定した均衡が存在する。これは進化ゲーム理論で証明された重要な定理で、ざっくりいうと、利害対立のある場合にも、味方と協調して敵を排除する「合言葉」を使えば、平和を実現できるのだ。

ここで平和を実現する上で重要なのは、共通利益とコミュニケーションである。ピンカーもいうように、商取引と情報流通が戦争を減らした。ISや北朝鮮のように理解を拒絶する集団とは協調できないが、中国のような大国は共通利益を理解しているので、一方的に戦争を起こす確率は低い。

これはみんなと仲よくする平和主義ではなく、コミュニケーションを拒絶する敵は例外なく排除する合理性が必要だ。このような「友と敵」の関係が政治の宿命だと論じたカール・シュミットは、その敵対関係を克服する可能性をマルクスのインターナショナルに見出した。

デリダはそれを引用して主権国家の偽善性を批判し、『マルクスの亡霊たち』では新しいインターナショナルを展望した。その具体的な内容は不明だが、これは国際的ではなく「グローバルな個人の連合」といったほうがいいだろう。

丸山眞男も(シュミットを参照して)主権国家の次の国家像を考えていた。彼の構想はもう少し具体的で、国連改革によって真の集団安全保障を実現することだった。今の国連は(アメリカの上院のように)大国も小国も1票になっているので機能しないから、人口比で代表を出す「下院」を創設し、そのもとに国連軍を置いて日本も参加すべきだという。

シュミットも丸山もデリダも、インターナショナルやアムネスティのようなNPOに主権国家を超える可能性があると考えていた。彼らは主権国家のような軍事力をもたないので、戦争という選択肢がない。敵を抑止する強制力もないが、全員が共通利益を認識すれば(理論的には)平和が実現する。

このように多くのNPOが競争する中から、主権国家の次の「自由の国」ができるかもしれない。もちろん近い将来にそういうユートピアが実現する見通しはないが、共通利益とコミュニケーションが十分大きくなれば、それが実現する可能性は(ゲーム理論では)存在する。国境を超えて拡大するインターネットは、その可能性を示している。

これはピケティの「グローバルな資本課税」とは似て非なる理念だ。彼は主権国家の「国際協調」でグローバル資本主義をコントロールしようと考えているが、この闘いは国家に勝ち目がない。むしろグローバル資本主義が共通利益とコミュニケーションを限りなく拡大した延長上に次の社会が生まれる、というマルクスの理想のほうが未来的で魅力がある――それが実現するとしても100年以上先だろうが。

You may say that I’m a dreamer, but I’m not the only one.
I hope some day you’ll join us and the world will be as one.
――John Lennon