「名大女学生凶行」に憤る --- 北尾 吉孝

アゴラ

「人を殺してみたかった」---「豊川市主婦殺人事件」あるいは「佐世保女子高生殺害事件」と同じように、「名古屋市のアパートで無職森茂子(もり・ともこ)さん(77)が殺害された事件」でも、逮捕された名大女子学生の口から出たのは此の言葉でありました。


先月29日付の東京新聞社説には、「生命への現実感が感じられない殺人願望がなぜ、暴走するのか」とあります。今回のケースで言うと、メンタリーに可笑しいか或いは根本的に可笑しな教育を受けてきたか、此の2つしか考えられません。私見を述べるならば、恐らく前者以外に答えが得難いケースではないかと思います。

此の女学生は事件の2日前「名大出身死刑囚ってまだいないんだよな」とツイートし、事件当日には「ついにやった」とのツイートをしたようです(参考:事件の経過と女子学生のツイッター)。彼女は「中学生時代から地下鉄サリン事件などを調べていた」とされ、また「附属池田小事件」や「秋葉原通り魔事件」の実行犯に「共感を抱いていた」とも報じられます。

7年前、「東京・秋葉原の繁華街にトラックで突っ込み、通行人をはねたりナイフで刺したりして7人を殺害、10人に重軽傷を負わせたとして殺人などの罪に問われ」た後者の事件の被告人、加藤智大氏は昨日死刑確定となりました。あれだけの身勝手な大量殺人鬼、信じ難い犯罪行為者でありますから、当然死刑になるべき人だと私は思っていました。

こうした凄惨な事件にあっては常に刑法第三十九条、「心神喪失者の行為は、罰しない」及び「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」が論じられます。は、『近代刑法の大原則の一つである「責任なければ刑罰なし」(責任主義)という考え方に基づくもの』でありますが、犯罪抑止という観点からは此の「心神喪失及び心神耗弱」に関し余程の吟味が必要ではないかと考えます。

「殺してみたかったから殺した」というのは、私は「イスラム国」以下だと思います。「イスラム国」はそれなりに屁小理屈をつけているが故、それに共鳴・共感する人も世界中から集まっているのかもしれません。しかしながら加藤氏にしろ名大女学生にしろ、「誰でもよかった」とか「人を殺してみたかった」と言う彼らを許せる人は誰一人としていないでしょう。「責任能力の欠如」から此の類が何らかの許しを得るならば、死者も浮かばれず本当に気の毒という他ありません。


編集部より:この記事は北尾吉孝氏のブログ「北尾吉孝日記」2015年2月3日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった北尾氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は北尾吉孝日記をご覧ください。