『スティーブ・ジョブズ』(ウォルター・アイザックソン著)は世界的なベストセラーになった。同書には、Appleの創設者であるジョブズ氏がいかに自己中心的で不躾で鼻持ちならない人物だったのかを物語るエピソードが満載だ。現に1980年代半ば、抑えが効かなくなったジョブズ氏は誰からも敬遠され、ついには自分が立ち上げた会社からも追い出されている。
皮肉なのは、ジョブズ氏が典型的なヒッピーであり、生涯にわたり禅仏教と瞑想――今や「マインドフルネス」という言葉で定着してきた――への関心を公言していたということだ。大学中退後には、悟りを求めてインドで数カ月を過ごしたほどだった。
結局のところ、そうした東洋的な精神主義に傾けた情熱は、職場での振る舞い方に活かされることは少なく、禅の精神に則り無駄を一切省いた製品デザインに注ぎ込まれたのである。
しかし、天才ではない僕らのような人間の場合はどうだろう。職場に関連する教訓を東洋の精神主義から学ぶことはできるのだろうか。
僕は、できると思う。
仏教の考え方には、心を落ち着かせ、周囲に対するマインドフルな姿勢を生む効果がある。難しい決断を下したり、景気の荒波を乗り切ったりしなければならないときのストレスに耐える力を与えてくれると同時に、同僚や部下を思いやる心を育ててくれるのだ。
僕自身が仏教から学んだ最大の教訓を3つご紹介しよう。
1)百八煩悩――欲を捨てる
多くの人が、富、権力、名声を求めてやまない。もっとお金を稼ぎたい、もっと権力を持ちたい、もっと有名になりたいという欲に囚われている。だが仏教では、そのような現世のモノをあの世にまで持っていくことはできないと説く。現世の欲を捨てることこそが、心の平安を得る秘訣なのだ。欲を捨てれば、自分のためよりも他人のためになるかどうかという観点で仕事について考えられるようになる。
2)諸行無常――変化に抗わない
グローバル化が進んだり、モバイルインターネットが登場したり、新たな競合相手が現れたり、重要な人材が会社を去ったりと、ビジネスの世界は決して静止していることがなく、新しい課題を次から次へと僕らに突き付けてくる。ストレスが溜まって当然なのだ。しかし、起こってしまった変化に一喜一憂しても仕方がない。運命を受け入れよう。現実に対応しよう。夢想だけでは前に進めない。
3)一期一会――人間関係を大切にする
仏教では、すべての出会いには意味があると説く。何かしらの理由(ご縁)があるからこそ出会うというわけだ。だから、仕事の場で縁あって出会った人との関係は大切にしたほうがいい。そうした出会いが良い結果をもたらすはずだ。
日本を代表する実業家の中には、本格的な仏教徒が何人もいる。セラミックメーカーの京セラを創設した稲盛和夫氏がその例だ。稲盛氏は、1997年に65歳で京セラの会長を退いた後に得度(出家の儀式)している。2010年には、経営破綻した日本航空のリストラを指揮して再び話題となった。当時78歳の稲盛氏は見事な手腕を発揮し、リストラという概念に対する日本人の考え方を一変させた。リストラも適切に行えば前向きなものになるということを世間に示したのである。
パナソニックの創業者で、「日本的経営の祖」である故・松下幸之助氏も、敬虔な仏教徒だった。松下氏はたびたび僧侶をオフィスに招いては議論を交わした。そして、ジョン・コッター著『幸之助論』に詳しいように、「どうすれば実業家が精神的にも物質的にも豊かな社会作りに貢献できるのか」を探ることに人生を捧げた。
僕は運良く、そのような実業界における仏教徒の1人をメンターに持つことができた。斑目力曠(まだらめ・りきひろ)氏である。斑目氏は僧侶の家系に生まれたが、様々な理由から実家の寺を継ぐことができず、ビジネスの道に進んだ。そして、1970年に電源コンバーターなどを製造・販売するメーカーを設立。この会社は1991年に上場し、最終的にはTDKの傘下に入った。
斑目氏は、僕たちのベンチャーキャピタルファンドの1つに出資する投資家でもある。その斑目氏に連れられて、僕は高野山の古寺に滞在したことがある。高野山と言えば、真言宗の総本山がある場所で、ユネスコの世界遺産でもある。大阪から電車で2時間かけて現地に向かう間、斑目氏は仏教に関するスライド160枚分の説明資料を見せてくれた。その資料と、400年以上前に建立された古寺で斑目氏と過ごした時間に触発されて、僕はインドへも足を運んだ。インドでは、ムンバイの近くにあるアシュラムのスワミに教えを受けた。
数年前、僕はCEOとして『GQ JAPAN』誌のインタビューに応じたことがある。僕以外にも何人かのCEOがインタビューを受け、全員が同じ質問に答えた。その質問とは、「あなたにとって何が一番大事か。そして、何が一番欲しいか」というものだ。僕はこう答えた。「一番大事なのは、心の平安とマインドフルネス。欲しい物はない。なぜなら、今手にしているもので満足できるようになったからだ」と。
何人ものメンターや導師から受けた教えのおかげで、僕は以前よりもマインドフルになり、少しは強欲というものを抑えることができたと思う。変化を受け入れることへの抵抗が薄れ、同僚や部下や仕事で出会う人々のことを思いやれるようになったとも思う。その結果として、僕の会社では社員の誰もが心穏やかで、協力しあえるようになっていると信じたい。
あなたはマインドフルな職場に賛成だろうか。それとも、各自の力を最大限に引き出すためには多少の摩擦や緊張感があったほうがいいと考えるだろうか。哲学というものは、洋の東西を問わず、職場環境の改善に役立つと思うだろうか。
心を平静に保ち、やるべきことをやる――あなたなりの秘訣を教えてほしい。
※この記事は、2015年1月15日にLinkedInに寄稿した英文を和訳したものです。
編集部より:この記事は堀義人氏のブログ「起業家の冒言/風景」2015年1月28日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、「起業家の冒言/風景」をご覧ください。