クリスマス休暇中にイギリスに留学をしている後輩から相談されました。
英語が思うようにならず、劣等感を抱くこともあるとのこと。彼女は勤め先からイギリスのトップクラスの大学に送り出されたということで、使命感と現実の間ですこしあせっているようでした。
本当は直接会っていろいろ話を聞いてあげたかったのですが、諸般の事情からメールでのやりとりですましてしまい、簡単なアドバイスしかできないで、すまない気持ちが心の片隅でわだかまっているので、この場を借りてもうすこし詳しく私の考えを書き留めておきます。
言葉の問題はしょせんフィジカルな問題だと思ったほうがいいでしょう。言葉という道具を使いこなすということは、つまりはスキルの問題なので、これは継続的な練習を積み重ねることでしか解決できません。たとえればウェイトトレーニングと一緒だと考えていいでしょう。もちろんウェイトトレーニングと同じように、その方法はいろいろありますから、個人ごとにあうあわないやりかたがあります。いろいろ試してみることが必要だと思います。
英語の勉強方法に関しては私も経験からいろいろと書きおいてあるので、もし役に立ってくれれば幸いです。(こちら)
その一方で劣等感というのはメンタルの問題です。言葉の不自由から劣等感をいだいてしまうという因果関係は、私も経験があるのでよくわかります。
しかし、言葉ができないので劣等感をいだき、そのために思うように勉強に積極的になれず自信をなくしていくというような下降スパイラルにおちいってしまうとやっかいです。
そこで言葉というフィジカルな問題と、劣等感というメンタルな部分をまずは切り離して考える必要があります。問題の根源を同じくしていても、対処法がちがうのですから。前者はトレーニングの積み重ねによって時間が解決してくれますが、後者は考え方の切りかえによる自己の成長によって克服していかなければなりません。
以前の文章でも故邱永漢氏の言葉を引きましたが、言葉などというものはその国へ行けば乞食でも子供でもしゃべっているものなのですから、別に珍しいものではありません。言葉ができるからといってエラくなるわけではないのです。たとえば会議の席で一番エライのは通訳の人ではないでしょう。(もちろん通訳をやっている人で私が尊敬する人は数多くいますが。)
もし言葉ができるようになっただけで劣等感を克服したという人がいたら、その人の劣等感はずいぶんつまらない劣等感だったのだと思いますし、元来その人が目指していたところはずいぶん低い「自分像」だったといえるのではないでしょうか。
僭越ながら私の経験を披露させていただきましょう。
私の場合、日本の大学を休学してイギリスの大学に願書を提出し受験したところ、全く思いもかけずに入学を許可されたこともあり、学部一年生の初めの頃は「旅の恥はなんとやら」でずいぶんとむちゃくちゃにいろいろトライしていました。入学式後の最初の講義で講師の先生が「じゃぁ試しに模擬裁判やってみようか」といわれたとき、ろくに英語もままならないのに(だれも他にそうする人がいなかったので)手を上げてしまい、新しく「学友」となった100人近くの同学年生の目前、頭が真っ白になって壇上で立ち往生してしまったことは今でも思い出しては冷や汗をかいています。しかしそんな殊勝な気持ちが芽生えたのは後のことで、当時は「まぁいいや」程度で平気な顔をしていました。恥をしらないということは色々な意味でおそろしい。
こうしてスタートした私の留学生活がしばらく経過したところ、私の傍若無人な態度がお気に召さなかった同学年のイギリス人学生が、私にヤキをいれに...もとい、強く意見してきました。ようするに自分たちの勉強のジャマになるようなスタンドプレーはたいがいにしろよ、というご注告。
学生食堂で新しくできた友人たちと談笑していたところ、突然ケンカをふっかけられたようなもので、一方的に言いたいことを言って立ち去っていく彼の後ろ姿を私は不覚にも呆然とながめることしかできませんでした。
マヌケな面をして立ち尽くしていたであろう私に、一年先輩の学生が慰めの言葉をかけてくれました。
「気にするな。あいつは◯◯のような三流パブリックスクールの出身だからあんなことをいうのさ。」
この体験は私に二つのことを教えてくれました。
一つは自省です。
やはり恥知らずに基づく蛮勇をふるうだけではダメだということ。なにごとにもチャレンジする精神はもちろん尊いことですが、それが自分の成長につながらなければ意味がありません。あたらしい大学生活の始まりにあたって当然シャイな学友たちを尻目に、好き勝手に自己発現な行動に及び、それだけで満足しているのでは勉強にはならない。ましてや学友たちとの切磋琢磨などということとは程遠いということです。
自分に不足するところを知ることは、劣等感につながるかもしれません。しかしそうした劣等感は向上心と表裏をなしています。私は恥を恐れないことにより劣等感を克服したかのような気になっていました。しかしそれは向上心を忘れることにもつながっていたのです。
ですから「劣等感に苛まれる」と悲観せず、それは自分の向上心の裏返しなのだと気がつくことが大切です。適度な劣等感は長い目でみればプラスなのです。それはウェイトトレーニングで負荷をかけた後の筋肉痛のようなものだと考えてください。
もう一つはプライドと気合ということです。
親切な先輩が「あいつは三流パブリックスクールの出身だから」と言ってくれた時、頭がシンプルにできている私は即座に、「へっ!そうかい...こちとら日本一の学校から来ているんでぃ、べらぼーめ!」と考えて溜飲を下げていました。
もっともよく考えてみたら私が誇る母校の名を知る人など、日本国外にはひとにぎり(ひとつまみ?)しかいないわけでして。
しかし自分のコアの部分にプライドを持つということは、重要です。
日本という閉じた社会で暮らしている間は、我々日本人はいろいろな「肩書き」を介して人間関係を築いています。それは出身校だったり、勤め先だったり、資格だったりします。人間は社会的生物ですから、そうした属人的マーカーと、それに伴う社会的地位の上に個人の人格を投影してしまうのはやむを得ない人間の性癖でしょう。
それが日本という閉じた社会を出てしまうと、こうした「マーカー」が国内と同様には通用しないので、日本で培ってきた自分の人格を否定されたような、まるで裸になってしまったような錯覚をしてしまいます。
そうした不安を消し去るために、「国際社会」で認められる「マーカー」を追求していくという生き方もあります。たとえば世界的に有名な大学に学ぶとか、MBA学位を取得するとか、いわゆる「グローバルマッチョ」なやりかたですね。これはこれですでに世界的な巨大ビジネスになっていますから、こうした願望は日本人だけに限られたものではないことがわかります。
それはそれでかまわないのですが、留学したばかりの私は自分の人格の内面を鍛えることで、外の世界に対抗しようと思いました。こういうと聞こえはいいですが、つまるところ当時の私には無事に海外の大学を卒業して「国際マーカー」を手にいれる自信が全くなかったからです。また3年間の学部生生活のしょっぱなで「ギャフン」といわされたわけですから、その後の長い留学生活を頭を下げたままで過ごすことなど想像できなかったのです。
日本人以外は誰一人知ることのない母校への想いをプライドに転換することは、まったくケナゲな心がけではありますが、いかんせんいささかスケールの小さい話です。そこで私はやはり日本人であることが自分のアイデンティティーの根本であり、そしてプライドの源泉であることに気がつかされました。
そこで大学での法律の勉強とともに日本史をあらためて勉強してみた次第。もちろん日本史ぐらい日本の学校で勉強させられますが、そこで得られるものは日本人としての常識レベルの日本史でしかありません。現代日本人のアイデンティティーを育んだものはなにか、つまりは日本人以外の人に日本人を説明できることを意識したレベルでの教養としての日本史を読み漁ることが私の糧になっていきました。(ここらへんの話は以前こちらにまとめてみましたので、もしよろしければご一読を。)
もちろん、私は「愛国心」をプライドの礎としたわけですが、他にもいろいろとベースになるものは見つかると思います。
「愛国心」を根性のベースにすることの難点は、それが狭量な唯我独尊につながってしまうことがあると思います。昨今ニュースを騒がせる排他主義的な人々のそれはいうまでもありませんが、いたずらに「チクショー、日本人をバカにするなよ~...」と、劣等感を抱くたびに思っていますと、ネクラに沈殿していってしまいます。ここで引き合いに出すのは畏れ多いのですが、かくも優秀な学者であられた江藤淳さんも、アメリカ留学当初はこの傾向に陥られたようであります。
日本社会という枠組みを取っ払ったところでも自立できるプライドを内に秘めたところで、それをイジけた自我の拠り所としてしまうのはもったいない。劣等感から内向的になってしまった自分をますます内向的にさせてしまっては、せっかくのプライドも宝の持ち腐れでしょう。
日本人以外の人々接する場面で、劣等感からの下降スパイラルに陥らず、自分のプライドを足場にいかにさわやかに自分を表現できるか。これはやはり気合の問題だと私は思います。
日本では相撲、留学以降はラグビーをやっていたエセ知的労働者の私の汗臭い比喩で申し訳ないのですが、やはり自分より大きく見える相手に向かっていく要領は立ち合いやタックルに入るタイミングでの気合勝負なんですね。
これは松永安左エ門の話で、詳しいことは忘れてしまったんですが、耳庵翁若かりし頃、まだ筑豊の炭鉱ビジネスをてがけていた折のある日、土手を歩いていたら向こうからとんでもない格好をした若いのが歩いてきたとか。たしか着流しの裾をからげた上に学生服を羽織っていたとかだったと覚えています。そこで松永さんが「なんだ、そのおかしな格好は!」といったところ、打てば響くような合いの手で、「おかしけりゃ笑え!」と返された。
松永さん、この当意即妙の受け答えにいたく感動したようで、後日自分の本の題名にするのみならず、その中で「見上げた根性と気合」と褒めています。
べつに授業や大学生活の日常を、啖呵を切るようなピリピリとした気構えですごす必要はありませんが、いつも積極的な気持ちでいることは大切です。言葉ができないからといって、受け身でいてはいけません。徒手空拳の一介の不良学生でも一世風靡の大実業家に寸鉄を報いたように、前向きな気持ちであれば多少言葉が不自由だろうとあなたの存在は評価されるでしょう。
恥多き個人の経験からいろいろと私見、管見をのべさせていただきましたが、適度な劣等感を感じつつも、愉快に実り多い留学生活を送られることを祈念しています。