日本の経営者にも高額報酬を --- 井本 省吾

アゴラ

8日付け日本経済新聞の「けいざい解説」で編集委員の小平龍四郎氏がCEO(最高経営責任者)の報酬の日米格差について、面白い視点で論じている。

世界的ベストセラー「21世紀の資本」の著書として今、話題沸騰中のフランス経済学者トマ・ピケティ氏は、米国社会の格差の象徴としてケタ外れの高額報酬を得ている最高経営責任者(CEO)は「もらいすぎだ」と批判している。


ビッグビジネスだと年俸20億-30億円のCEOも珍しくない。これに対して日本では1億円に満たない年俸の経営者が多い。従業員との格差が少ないのは平等で良いことかも知れないが、一方で日本経済の成長、発展という点では弊害もある、と小平氏は指摘する。

<日本の経営者報酬には、企業価値を高めるために積極的にリスクをとっていこうという動機づけ(インセンティブ)が足りないのではないか>

その証拠として興味深いデータを示している。

<米コンサルティング会社、タワーズワトソン……(の)最新の集計によると、売上高1兆円以上の米企業のCEOは平均して総額11億5000万円の報酬を受け取った。日本企業は1億3000万円にとどまる>

文字通りケタ違いだ。ところが--。

<この中から業績や株価の動向に影響されない「基本報酬」を抜き出すと様相が異なる。米CEOの基本報酬は総額の11%にあたる1億2000万円にとどまり、対照的に日本企業は総額の59%、7400万円となり日米の差は急速に縮まる>

米CEOは10億円余りを業績に連動した成果報酬として受け取っている。それだけの働きをしたということだ(「もらいすぎか」かどうかは別にして)。
「日本の経営者は業績や株価がふるわなくても報酬が減る恐れが、米国よりも小さい。裏を返せば業績を拡大しようとするインセンティブが不足しがち」というわけだ。リスクをかけて働いていない、ということだ。

画期的な新事業を創造し、思い切った巨額投資をするのはリスクがある。現状を延長する程度の中途半端な投資でとどまってしまい、総じてROE(株主資本利益率)が米国に比べて低いのはそのためだ。

過去10数年、半導体や携帯電話などで日本の電子産業が米アップルや韓国のサムスン電子に大幅な遅れをとったのは典型的である。

現在、日本企業が多額の内部留保、手元資金を抱えながら、投資が進まないのも、リスク回避のサラリーマン経営者が多いためだと指摘されている。

日本でも創業型のオーナー経営者は思い切った投資をして事業を発展させている。古くはパナソニックの松下幸之助氏やホンダの本田宗一郎氏、ソニーの盛田昭夫氏、現在はソフトバンクの孫正義氏やファーストリテイリングの柳井正氏などが代表的だ。彼らは報酬も大きいが、日本経済を発展させた功績はそれ以上に大きい。

日本のオーナー経営者の年俸はそれほど大きくはない。だが、自ら保有する株式の配当は巨額だし、保有する株式のインカムゲインはケタ違いだ。サラリーマン経営者では怖くてとてもできないような投資を、自分の判断でリスクをかけて実行してきた結果である。経営者であると同時に資本家であり、だから失敗を恐れずに事業を拡大し、自己資本利益率を大きくしようとする。

では、高額報酬を与えれば、サラリーマン型の経営者も、もっと積極的な投資をできるようになるのかというと、事はそう簡単ではない。

歴史の古い大企業は同じような学歴、経歴の同僚、先輩、荒廃とともにキャリアを積み、能力はあると言っても、同程度の社長候補は10人以上いることがざら。前社長との年齢差や、その時の経営環境などに影響されて、運よく社長になれた、というケースが多い。

だから、他の役員と自分の報酬に目立つほど差をつけられない。また、思い切った事業再編や積極投資をして、失敗し、会社の屋台骨を揺るがすことはしたくない。自分の任期中を大過なく、低収益でも増収増益を実現できればそれでいい、と思っている経営者が一般的だ。

古い企業はしがらみ、前例踏襲もやたらに多く、前社長、元社長が始めた事業だと低収益で将来性がなくても大幅赤字でなければ、元社長の存命中は撤退しにくい。大リストラができるのは会社が大幅赤字になってこのままでは経営破たんという状況になったとき、つまり先輩経営者に言い訳できる状態になった時だけと言ってもいい。

また、たとえ年俸が1億円弱でも「それだけあれば十分」と考えている経営者が大半。いい意味でも悪い意味でも米経営者のようにグリード(強欲)ではない。

つまり、自身の成功報酬を大幅にすることに躊躇する経営者が多いのだ。その裏返しとして、リスクをとって攻めの経営を突き進む意欲に乏しい。

以上は、よく知られた分析である。では、どうするか。

米国並みとは言わないまでも、やはり成功報酬をもっとぐんと大きくした方がいいと思われる。貨幣としての年俸だけでなく、会社の持ち株もたくさん与える。

それにより、会社が伸びて利益が高まれば、キャピタルゲイン(資本利得)もふえるから、発想がオーナー型になって思い切った投資をするようになるだろう。

その投資で失敗すれば、年俸も大きく落とすし、場合によってはすぐに引退してもらう。信賞必罰を徹底することで、事業家、経営者としての腕が磨かれて行く。以上はCEO以外の役員も同じことだ。

一方で、業績や株価の動向に影響されない「基本報酬」は今より減らしてもいい。何もしなくても得られる報酬などは少なくて当然だろう。CEOのみならず役員は新しい付加価値を会社に積み上げるからこそ存在価値があり、一般従業員よりも高い報酬を得る権利があるのだ。

日本企業をその方向に導くのは株主である。その意味で株主の発言権も今より大きくなる方がいいだろう。

日本企業がこうした方向に転ずれば、ベンチャー企業家=オーナー経営者も今よりふえ、日本経済の活性化を促すはずだ。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年2月8日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。