21世紀の科学は、おそらく「進化」のパラダイムで統合されるだろう。生物学がすでにそうなっていることはいうまでもないが、物理学においても現在の(人間の住む)宇宙の状態を論理的に説明するには、多くの(ありうる)宇宙の中から淘汰されたと考えるしかない。社会科学でも、行動経済学の理論的根拠は進化論である。
本書はサイエンス・ライターの書いた進化論の解説書で、特に斬新な話はないが、社会科学を進化論的に考え直す上で参考になるのはグールドと主流派の論争だ。グールドはすべての進化を適応によって説明できないとしてスパンドレルの概念を提唱したが、これもある種の適応である。
たとえばどんな生物でも、巣が襲われると母は子を守る。これは不合理な「母性本能」ではなく、子というサンクコストを守る行動には合理性がある。事後的には子を捨てて逃げることが合理的だが、敵がそれを知っていると巣を襲って子を食うフリーライダーが増えるから、巣を守って抵抗するコミットメントが進化したのだ。
これは論理的には人質ゲームと同じ問題である。事後的には身代金を払って人質を助けることが合理的だが、それがわかっていると犯人は誘拐を繰り返す。それを防ぐには交渉を拒否して報復することが合理的であり、争いを避ける平和ボケは進化で駆逐される。現実の生物でも社会でも、このようなコミットメントが進化的安定戦略になっている。
ただし結果的に無意味な進化も多い。たとえば人々が球技を好むのは、石器時代に他の個体を殺す訓練によってできたスパンドレルだが、現代ではまったく合理的な意味はない。それでもその起源は進化的に説明できる。逆にいうと、つねに飢えに直面していた人類200万年の歴史の中で、適応的価値のない進化が起こるはずがない。
だから本書のタイトルは逆で、すべての生物は徹底して合理的(適応的)なのだ。環境変化がいかに理不尽だろうと、それに適応する進化は合理的だが、それが結果として役に立つかどうかはわからない。本書はこういうわかりきった話を延々と紹介しているだけだが、不合理な感情が適応的価値で説明できるケースは多いので、発見学的な価値はあろう。