中1殺害事件―また出た「ゲーム原因説」のおかしさ

梶井 彩子

川崎で中学一年生の上村遼太君が殺害された事件は実に痛ましい。

特にテレビでは毎日、上村君の青あざのある顔写真を使い続けている。局内で「痛々しい。この写真の使用はやめよう」という声はあがらないのか。あるニュース番組では、上村君の当該写真の上に「提供」を載せていた。あまりにも被害者に失礼だ。

一方で、加害者の写真や家族の写真、住所までをネットでばらまくのもやめるべきだ。「少年法に守られマスコミが報じないから、代わりに俺たちがやる」、という動機だろうが、責任の伴わない匿名ネットユーザーに「私刑」を執行する権利はない。

だが責任があるはずのマスコミでおかしな情報が報じられているのもまた事実だ。


加害者について、例にもれず「未成年の事件」特有の分析が報じられている。

〈大阪産業大客員教授の八幡義雄氏(初等教育)が言う。
「小さいころから殺戮をテーマにしたゲームやネットに触れている影響でしょう。『画面の中にあることを試したい』と思う子が少なからずいるのです。凶器を用意するのはアイテムを揃える感覚で、彼らとしてはあくまでも“試し使い”。だから殺すつもりがなく、逮捕されても反省の弁がないのです。殺人事件は今後、もっと低年齢化するでしょう」〉(二月二十三日、日刊ゲンダイ)

またこれか、である。容疑者さえ特定されていなかった段階で、なぜこの教授はこうも具体的に犯人の心理を解読できたのか。

恐らく「ゲームセンターにたむろしていた」という情報から短絡的に発想したのだろう。しかしゲームセンターには、ガンアクション、格闘、クイズ、パズル、レース、音楽、クレーンゲーム、メダルゲームなど様々なジャンルのゲームがある。そこで彼らがどのゲームにどの程度のめり込んでいたかという情報はない。

少年がかかわる犯罪ではゲームやアニメに「影響を受けた」という言説がまことしやかに語られるのが常だ。規制しろ、との声も高まる。しかもゲームやアニメにさほど関心がない年配層が声高に叫んでいる印象だ。元々ゲームやアニメに無関心か、或いは否定的な人たちにとって、「私たちの常識から外れる事件は、私たちが日常接していない、何か残虐なものの影響で起きたに違いない」という考えは受け入れやすいのだろう。

しかし今回の事件は報道を追う限り、「河原に跪かせてナイフで脅す」という殺害手法に関してはISISから発想されたものだろう。テレビで繰り返し報道された、黒づくめの男とオレンジ色の服を着させられた人質のショットだ。

その後、逮捕された少年のうち一人が自らのグループを「イスラム国」をもじって「川崎国」と名乗っていたとの情報も出ている。真偽は不明だし、もちろんそれが動機のすべてでないことは言うまでもないが、全世界を敵に回し暴れるISIS報道を見てある層の若者が「カッコイイ」あるいは「俺たちだって」と受け取ったとしても驚きはしない。ワルに憧れるポーズをとりたがる年頃ならなおのことだ。

報道と犯行のタイミングを見ても、テレビで見ていた映像と、日頃の鬱屈や行い、そして飲酒による暴力性が、不幸にも一線を越えて結びついてしまったと考える方が、「ゲームの影響」と考えるよりはるかに自然だ。

このように影響が連想されたとしても、「報道によって事件が起きたんだ!」「報道を止めろ」という人は恐らくそうはいない。報道は「現実」であるだけに、ゲームやアニメのような「原因」としてやり玉に挙げられることはない。だがフィクションではなく、現実に起きていることの方が「現実」に作用するのは当然ではないだろうか。

言うまでもなく、NYのビルが爆撃等によって倒壊する映画をいくら見ても、9・11の現実の映像のインパクトには敵わない。同じ画面を通じてはいても、それが現実であるか否かは小中学生でも判別はつく。

むしろ、現実に起きていることが画面を通じて繰り返し報じられることで「現実なのにどこか現実味がない」という、いわば「リアリティの矛盾」のような状態が起きる。大ごとであればあるほど、どこかネタ化されてしまい、少年に限らず多くの人が興味を持つ。

昨年、政治資金問題に関する記者会見が話題になった野々村議員のマネをしてプリクラを撮るのが流行した。同じノリで、ISISのマネをして撮影したプリクラの画像をアップし、炎上、進学を断念した女子高生もいた。程度の違う二つのニュースが同じ画面を通じて繰り返し報道されることで、同じレベルの「ネタ」として受け止められてしまうことを完全に防ぐことはできない。

例としては少々卑近だが、オウム事件前後、中学生だった頃を思い出す。麻原彰晃のマネをして、座禅を組んで飛びあがる空中浮遊を休み時間に試みる同級生は多かった。同年代ならギャグ交じりで「しょーこー、しょーこー」とあの歌を口ずさんだことのある人も多いだろう。

ひょっとすると「ポアする」等といって虫や小動物を殺したことのある子供もいたかもしれない。こうなると「越えてはならない一線」に近づくが、程度はどうあれ子供ながらに不謹慎であることは分かりながら、あえてやっていたのだ。

世間で話題になっている「現実のニュース」を見て、本格的に踏襲しようという子供はほとんどいない。しかしネタとして真似する子供はそれなりにいる。そしてその不謹慎なネタの範疇がある時、様々な要因と共に一線を越えることもある。「真似したくてもできない」ことがほとんどのゲームやアニメよりも、「実際に起こりうる」現実の影響を重く見るべきだ。

ネットでは閲覧可能なISISの殺害映像について、子供に「見せるべきでない」との声の一方で、「むしろ命について考えるために見せた方がいい」との意見もある。半端なものを見せるから事件の本当の悲惨さが分からないのだ、と。

だが、「何を見て、どう考え、行動するか」は千差万別で、子供がどう受け止めるかは、個人差があまりに大きく量りようがない。悲惨な映像を見て、苦痛を覚えるか憧れるかは教育によってコントロールしきれるものではない。ワルぶって「大したことない」などと言っているだけならまだいいが、タブーであるがゆえに「のぞき見し、かえって強烈に興味を覚える」類の子供もいる。そういう意味での「例外」を社会から完全に排除することはできない。シリアルキラーに憧れていたと思しき名大生が起こした殺人事件などはこの類だろう。

その「例外」はもちろんゲームであってもゼロではない。だが、自ら犯罪に及ぶような年齢以上で考えれば、ゲームやアニメなどのフィクションと現実の区別がつかない子供など、ほとんどいない。一方で「現実」である今回の事件を連日にわたって報じ、そのたびに上村君の青あざの写真を映し、殺害時の様子を事細かに放送し続けることが青少年にどんな影響をもたらすか、ISISに関する報道の影響を含めてメディア関係者は真剣に考えるべきだ。

その現実から目をそらして、見当違いの「ゲーム・アニメ原因説」に溜飲を下げているようでは、なおのこと再発防止は遠のいていく。

梶井彩子